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落語って、こんなにおもしろい

2006年07月14日

「寄席をヨリセキって読む人、あるのかね」

 落語家の仕事場、「寄席」について少しお話しいたしましょう。こう書いて「よせ」と読む、と言ったのではあまり適当ではない。むしろ「よせ」にこういう漢字を当てた、といったほうが近いのかもしれません。

 学校のためにすっかり頭を慣らされてしまったマルバツ式の読み書き法だと、そんなファジーな説明は許されませんが、江戸時代は、いや、昭和の初めぐらいまでは、ことばと文字の関係は画一的ではなく、かなり自由自在で融通のきくものであったようです。そうでなきゃ、洒落(しゃれ)なんて生まれにくい。寄席の二文字にも、日本文化の今昔が感じられますな。

 おもしろいお話をしゃべってお聞かせいたします。それが落語のそもそもの始めです。最初は同人同士の集いだったものが、もっと広く聞かせたい、聞きたいというムーブメントを生む、というのは自然のなりゆきで、やがて決まった場所でなにがしかの謝礼――報酬を受けて興行の原型が生じる。これが、ごく簡単な落語家と寄席の事始です。

 江戸、大阪(むかしは大坂)ともに寄席の第一号は寛政10年に誕生したといわれます。西暦なら1798年。200何年か前のことです。寛政年間の後は、享和を挟んで文化、文政という元号が続きます。江戸文化隆盛期ですね。講談には寛政期の名力士の噺(はなし)がたくさんありますが、大相撲は寄席興行より少し早く原型が出来上がっていたようです。

 その頃の寄席は「はなし」、つまり落語が主体で、曲芸などの色物芸が混じることはほとんどありません(だいたい、今のような色物芸が間に入るようになったのは、明治以降のことですが、それについては機会があればずっと後で述べます)。

 落語は初め、ただ「はなし」と呼ばれました。文字としては噺、咄などが当てられますが、むろん根は「話」と同じです。でも話では世間話や無駄話と区別がしにくいので、プロの営業種目を表す新たな文字が考案されたということでしょう。

 おもしろいおはなしをする、そしてお金を頂く。お客様は一人でも多いほうがいい。大勢の人をこの場に寄せたい。多くの客がその演者目当てで寄ってくる、寄せてくる。そんな人気者のはなし家が看板を大きくしていく。これはまあ、話芸に限らず芸能の真理です。

 多くの客を寄せる場所、それが「寄せ」ということになった。「寄せ場」といってもいいかもしれないが、そうならなかったのは、「寄せ場」というものがすでに別にあったからでしょう。

 土木関係の労務者を集める人足寄せ場というものがありまして、それが犯罪者の収容施設を兼ねていることも多かったのです。江戸では、いま隅田川の河口に高層マンションが林立しているあたりの「寄せ場」がとても有名です。

 「寄り席」と書いて「よせ」と読ませるのは無理なようですが、よりせきの「よ」と「せ」をキャッチして詰めているのですから、日本語の詰め方としてはとてもオーソドックス。だからこそ、今もってこれに代わる表現法がないのでしょう。大多数の人が早稲田をワセダと読めるのと同じで、寄席の二文字が標準的でないために落語の普及が妨げられている、なんてことは全くない。それが文化ってものでしょう。

京須 偕充(きょうす・ともみつ) 落語プロデューサー
 1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
 有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
 『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。
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