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落語ってこんなにおもしろい

文・京須偕充

扇子の話(2) 扇子としての扇子

2006年12月26日

 洋服の時代になっても、扇子が実生活から消えたわけではありませんね。

 「西洋にも似たようなものはむかしからある。洋服にあう扇子が考案されたわけでもないが、クールビズの時代、夏場に扇子はもっと使われていい。落語にとっても、いい環境になるよ。扇子にせよ、手拭いにせよ、ごく日常的な、ありふれた品物だから落語という普段着の芸の補助用具になったのだ。あまり特殊な品物であっては、落語が日常性から遊離しかねないからね」

 その点では、手拭いの方が特殊なのでしょうか。

 「たしかに日常生活では手拭いは全くと言っていいほど使われなくなっている。だが、それほど手のこんだ細工がある品ではなし、基本は一枚の布なのだから、タオルやハンカチの親類感覚でいけると思う。名人といわれた八代目桂文楽が手拭いの代わりにハンカチで落語をやっていたのを知っているかい」

 えっ、あんな正統派の人がですか? 手拭いじゃ時代遅れだと思ったんですかね。

 「まあ、理由はよくわからない。明治25年生まれだったから、案外ハイカラ趣味があったのかも知れないな。まあ、手拭いについては、いずれ話すとして、扇子の使い方をもう少し続けよう。クールビズで思い出したが、落語家自身が演技にかこつけて扇子で涼をとる場合もあるのだよ」

 ああ、高座が暑いときにね。

 「そう。冷房が行き届いた時代になっても、高座はライトで暑いことがある。そんなとき、登場人物が幇間(たいこもち)でなくても、さりげなく扇子であおいでいることがあるな。ただし、その噺が冬を背景にしている場合にそんなことをしてはいけない。暖房がききすぎて暑くても我慢すべきだ。だいたい客が扇子を持たないシーズンに自分のためにあおぐようでは行儀がよくないのだよ」

 演技上の扇子の使い方でいちばん印象に残るのは箸ですね、私の場合。

 「そうかな。箸の表現はそれほど派手でもおもしろくもないよ。箸そのものよりも、それを使っている状況、つまり食べる演技がらみで印象が強いのではないかい」

 そうかも知れません。うどんやそばを食べる場面が目に残っていますから。

 「とくに熱い汁ものの場合はたしかにそうだね。食べる表情が伴って箸の演技が生きてくる。刺身を箸でつまんで口に入れ、ワサビが効いて思わず目を閉じ、額を叩く、なんてのもおなじみのところだろうが、箸に見せた扇子そのものは特別な動きも何もしていないのだよ」

 なるほどね。じゃ、箸なんてたいした演技じゃないんですね。

 「いや、そうとも言えない。『寿限無』で食う寝るところに住むところ、というくらいだから、食は生活の重要なポイントだ。誰もが1日に何回も何かを食べ、それが人同士のコミュニケーションにもなる。落語にとって食の場面はおろそかには出来ない。むかしの日本人が描かれているのだから、食器はナイフ、フォーク、スプーンであるはずもない。箸は地味だけど、いちばん一般的な扇子の使い道さ」

 箸は2本ないと役に立ちませんけど、扇子は1本のままで箸に見せるものですよね。

 「当たり前さ。そこまでリアリティを求められると落語は成り立たない。元来、芸というものは現実を離れず、しかし現実そのものではないという世界だ。“箸に見せる”のであって扇子を箸の代用にするわけではない。扇子2本で箸を表すとしたらとても捌(さば)きがつかないし、見た目にもお粗末だ」

 割り箸を割っても扇子は1本なんですね。

 「そう。『時そば』では閉じた扇子の外側の骨1本分を軽く口にくわえてはじき、割る演技にしている。箸は2本だと考えるのがだいたいまちがっているのさ。箸の単位は本来一膳(ぜん)といって2本が一体になっているのだから」

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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