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落語ってこんなにおもしろい

文・京須偕充

手拭いのはなし(2)

2007年07月20日

 紙入れ、財布からたばこ入れに入る前に、手拭いそれ自体の用途についてちょっと話してください。手拭いは誰でも知っていますが、今や日常の実用品ではありませんから。

 「うれしい質問だね。何でも落語から考えずにまず、人間と生活、心情からものを考えることはとても大切だ。それが落語を深く理解するための、遠回りに見えて近道だと思う。ついでだが、わたしゃ、うれしい質問だとは言ったけど、“いい質問だね”なんて一昔前の野暮(やぼ)な言い方はしないよ」

 いい質問だね、は野暮ですか。

 「傲慢(ごうまん)だろ。反落語的だよ。で、手拭いの用途はかつて幅が広かった。しかしその第一の用途はタオルとハンカチに取って代わられた。体を洗い、拭(ふ)くこと。近年は洗い方もいろいろで、必ずしも布製品を使うわけでもなかろうが、風呂で体を洗うのに昔は手拭いが欠かせなかったのだ」

 手拭いに石鹸(せっけん)を付けて体をこすったんですね。

 「ま、そういうことだがね、石鹸の普及のために手拭いはタオルに取って代わられたとも言える。手拭いは薄い一枚の布っぺら、タオルは厚みのある織物だから、泡立ちではとてもタオルにかなわない。手拭いが風呂で活躍したのは、糠袋(ぬかぶくろ)という、米糠の入った布袋や、ヘチマの繊維などで油や垢(あか)を落とした時代だよ。簡単なやり方としては濡(ぬ)れ手拭いで体をこすることもあった。いずれにせよ、仕上げに体を拭くのは手拭いの役目だ」

 落語でも風呂の場面では手拭いを使いますね。

 「もっとも自然な、手拭いに似つかわしい演技だね。『湯屋番』で番台の主人公があらぬ妄想にふけっているのを、湯船や洗い場の男性客たちが呆(あき)れて見守るときに、それぞれなりの手拭いの使い方をして見せる。キャリアの浅い演者だとそれが画一的になりがちでもうひとつ雰囲気が出ない」

 手拭いを使って背中を流す場面もありましたね。

 「『堀の内』、別名『あわて者』の終盤でそそっかしいおやじが自分の子どもの背中を流すところだね。まちがえて銭湯の羽目板を洗い流すところで、両手に畳んだ手拭いを持ったまま上を見上げてびっくりする。近頃は背中を流し合う習慣もなくなったけどね。

 ハンカチ的な用途としては、どんな落語場面がありますか。

 「第一に汗拭き。夏の噺によくある。冷房のなかった時代、とくに戸外での立ち話などの場合、互いに汗をかく。顔から汗がしたたる図は仕方がないこととはいえ、昔のマナーからすれば恥ずかしいことなので、男女を問わず手拭いを手にして汗ばんだ顔をときどき拭きながら話をする。自然な夏の表現だね」

 でも、顔を部分的に軽く手拭いで押さえるようにするだけですよね。

 「そりゃ、顔が隠れるほどに手拭いを広げて、顔を包むように大きく拭くのも人前では行儀がよくない。それに芸の形としてもよくないから、あくまでもさりげなく拭くのだね。夏の噺をやるのは夏場だから演者自身も汗をかく。そこで登場人物にことよせて自分の汗を拭くこともあっていいのだが、それが奇麗ごとになるかならないかが、いい芸人かどうかの基準になる。近年では志ん朝さんがよかった」

 手拭いは実生活では使わないので、扇子以上に落語専用グッズだと思っている人が多いかも知れません。

 「それだけに、まず手拭い本来の用途から考え直すことは大切だ。落語は実生活の基盤に虚構を築く芸能。基盤の実生活を見据えずして落語の知識ばかり増やしても意味はないのだよ」

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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