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落語ってこんなにおもしろい

文・京須偕充

手拭いのはなし(3)

2007年08月02日

 タオル、ハンカチに代用される以外の手拭いの用途は何ですか。

「あとはごく特殊な、あるいは限られた使い道だ。仕事をするときに鉢巻きをしたり、頬被りをしたり、髷(まげ)の形を守るために頭に被(かぶ)ったり。これは本来の使用法というよりも応用、便法だろうね。こんなふうにも使えて便利な品物ということだよ」

 そんな使い方があるということは、手拭いがいつも身近にある便利な品物だったということですね。

 「そう。身近どころか、必携の品だった。それに、たんなる長方形の布だから機能は単純素朴で限界があるけれど、風呂敷同様に無限に応用が利く。その点では扇子より用途の幅は広いし、季節を問わず老若男女が携帯する品物だった」

 でも、高座で鉢巻きを実演したりはしませんね。

「それはそうだ。締めるしぐさはするが、実際に手拭いを頭に巻いたりはしない。泥棒の噺だからといって頬被りをしたりもしない。『大山詣り』や『星野屋』で髷を落とした、あるいはそう思わせるために頭に手拭いを被る際にも、ことばで言うだけで、いくら手拭いが落語家の演技用品だからといって実際締めたり巻いたりはしないよ」

 どうしてですか。やってはいけないのですか?

「いけないという法則があるわけではないがね、考えてごらん。落語家は登場人物を“らしく演じる”のであって、俳優のように“なりすます”のではない。人物の心になり切ったように演じたとしても素顔の演者であることはぎりぎりゆずれない線なのだ。だから鉢巻きや頬被りを実際にやってしまったら、ウケるかも知れないが敗北行為になる」

 なるほどね。マクラでも駄目ですか?

「まあ、マクラは演者自身のおしゃべりであって登場人物は不在だからね、説明的意味合いでやって見せたとしても悪いことはないだろう。昔は聴き手が頬被りとはどういうものかみんな知っていたが、いまはそうでないから、マクラでなら、見せる意味もあると言ってもいいのだろうね」

 落語は人物が複数で会話をするケースがほとんどだから、手拭いを頭に巻いたりすると厄介だという事情もありますね。

 「そのとおり。鉢巻をとったりはめたりしたのでは聴き手が落ち着かない気分になってしまう」

 手拭いの実生活上の用途はそれぐらいですか。

「そうだね。あとはまあ、風呂敷代わりにちょっとした物を包むこともある。手拭いに金を包むこともないわけじゃない。そうなればドラマの中ではちょっと重要な役を帯びるが、このあたりは個別的な話だからどうでもいい。それよりもね、必ず携帯している品物であること自体が用途を生むこともある」

 どういうことですか?

「具体的な用途ではないが、心情的な、あるいは習慣的な使い方だ。なぜそんなふうに使うのかと聞かれれば、そこに手拭いがあるから、と答えるしかない」

 ますますわかりませんね。

「職人などがね、何か願いの筋があったり、強く訴えたい件があったりして熱心に話すときに、思わず懐中から手拭いを取り出す。これはまあ、口角泡を飛ばしちゃ失礼だから、口の端を拭うために手に持つのかも知れないが、話しに力こぶが入るほどに右手に小さく畳んだ手拭いを握りしめ、その拳を振るようにして熱弁を振るうのだね」

 それが昔の職人の習慣ですか。

「習慣でもないが、そうする人が多かった。下町育ちの中高年なら覚えているはずだ。いかにも職人らしく見える。それを高座でよく見せたのも志ん朝さんだったよ」

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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