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落語ってこんなにおもしろい

文・京須偕充

手拭いの話(6)

2007年09月14日

 手拭いは扇子以上に実生活に即した品物だったようですね。たしかに応用範囲は広いし、これからも広げられる可能性はありますね。

 「理論的にはね。だが、その日常生活から手拭い自体が遊離してしまった今となっては、さらなる応用の拡大はもう無理だろう。タオルやハンカチだって使い道が狭くなりつつあるのだからね。これからの手拭いは落語や舞踊など、日本の芸能の中で使われている欠かせない品物として生きるだけだろう。落語家のみなさんがせいぜい大事に使い続けてほしいものだ」

 そうですね。日本舞踊ではよく手拭いを使いますよね。女の人がちょっと手拭いを被った姿で登場したり、手拭いを手に踊ったり。

 「恋し合う男女が忍び合うときにね、忍ぶ、隠れる、人目に付きたくないという思いを形で見せるには、手拭いを髷や顔にかけるのがいちばんだった。女の人なら広げて軽く髷の上からかけて顔が半分隠れるほどに、男ならいわゆる頬被りで、顎(あご)のあたりでキュッと結ぶから顔がかなり隠れる。ところが今、『頬被り』というとウサン臭く思われるだろう」

 ああ、疑惑を隠して知らん顔をして、記憶にございませんの一点張りをする方々のすることだと思われる。

 「そうなんだ。ま、知られて都合の悪いことを隠すのだから、それも『頬被り』には違いないけれどね。それに絵に描いたような泥棒のスタイルというのも昔から『頬被り』だから具合が悪いが、男女が人目を忍んで密会するなんて場面には手拭いが欠かせなかった。そんなふうに手拭いはね、人生のさまざまなシーンを演出する重要な小道具だったのだよ。落語をを演じる人も聴いて楽しむ人も、その辺に思いをはせてほしいねえ」

 高座用の手拭いには品質や色、柄のきまりがあるのですか。

 「特にないようだ。粗悪な品では困るが、高級な布や染の必要はない。通常使っているのは、落語家自身が正月や昇進時の配り物に使っている、『ふつう』の手拭いだね。落語家同士が正月や祝いの席で交換し合うこともあるので、A師匠の手拭いをB師匠が使うということもごく日常だよ。実用品だからね。ただ、折り畳んだ形、とくにラインと角がすっきりしないと何に見せるにせよ見た目によくない。だから使い古しの手拭いは使えないのだよ」

 じゃ、結構消耗品なのですね。

 「そう。といって静かな使い方ならば毎日新しいのと取り替える必要もない。とにかく一度水を通して糊がとれてしまうと手拭いの形は崩れる。小道具として使う前に汗を拭いて糊気が飛んでしまえば、もう新品とはいえない」

 この頃、人気の若手落語家はデザインを工夫した、まるでスカーフみたいな手拭いを作ってパーソナル・グッズのようにしていますね。

 「若いファンとのコミュニケーションには大切なことだ。手拭いはそのためのグッズでもある。ただしね、着物はそう奇抜にも出来ないから、高座で小道具として使い、紙入れやたばこ入れに見せるためには、あまり特殊な色や柄だと使いにくい、悪目立ちするというおそれがあるから、ほどほどにしたほうがいい。まぁ、高座での実用品とファッション・グッズとを分けて二種類作る時代かもしれないね」

 そろそろ手拭いの話もおしまいですね。

 「そうしよう。最後にひとつ、昭和の名人の一人、八代目桂文楽が手拭いを使わず、純白の絹のハンカチで高座をつとめた話をしておこう。問題もあるが、それで通ればそれでもいい、それが芸の世界というものなのだよ」

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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