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落語ってこんなにおもしろい

文・京須偕充

秋の落語(3)―演じる人、聴く人の「季節感」

2007年10月22日

 松茸の小咄(こばなし)が出たところで秋の噺の話はお開きでしょうか。

 「まあ、探せばないこともないのだがね、演じる人が、また聴く人が、その噺でどこまで『秋』を感じるか、ということもある」

 季節感が希薄だけど、これは秋の噺だというようなことですか。

 「そう。だけどね、季節感が希薄だからといって、その噺に欠陥があるってわけではないのだよ。落語に季節感があるのはうれしいことだし、まあ人間を描く落語に季節感があるのは自然なことだが、季節感のために落語があるわけではないからね。あまり意識しすぎて演じる時期を限定してしまう必要はないのだ。これからも折りに触れて季節と落語のことは話すつもりだけど、あまりとらわれないことが肝心だね」

 そういえば歌舞伎で秋に『京鹿子娘道成寺』を見たことがありました。あれは舞台いっぱい桜の咲く舞踊ですものね。

 「文化庁芸術祭は秋が恒例だが、春の演目では参加出来ない、評価されない、ということはないはずだよ。落語は聴き手に想像させる芸能だというのだから、夏に雪の降る噺を聴くのもオツなもの、という考え方も出来る。季節に合った噺を演じる、聴くのが何よりいいには違いないが、そうでなければならないという堅い考え方はどうかと思う」

 季節感希薄だけど、秋の噺というのを教えてください。

 「たとえば『蛙茶番(かわずちゃばん)』。これは本来ならば秋の噺だけれど、もうそんなことは誰も考えない。いつやっても聴いても楽しめる噺になっている。」

 ………あの、もしかして、さっきの松茸のバレ噺と関係あり?

 「そりゃ考えすぎだよ。たしかに『蛙茶番』のサゲは、小咄で松茸に見立てられた男の持ち物を活用しているがね、松茸のマの字もなくて『青大将』にたとえるのだから、その部分が秋の噺の理由ではない」

 失礼しました。どうして秋の噺なんです?

 「『蛙茶番』は大店(おおだな)で催された素人芝居の珍説だ。昔は素人芝居が盛んでございまして、と言って素人芝居の小咄や、今の歌舞伎への私感を述べてから本題に入るのが一般的な手法だ。もう誰も言わないが、大店が仕事を休んだり早仕舞いをしてそんなイベントをやるのは、何か祭事とか謝恩の日だというわけだね。『蛙茶番』の場合は恵比寿講(えびすこう)の日ということになっている」

 恵比寿講って、今でも東京・日本橋で秋にやる「べったら市」のことですか?

 「そう、東京ではね。干し大根の粕漬・べったらが名物だね。恵比寿、大黒は商売の神様なので、商店は素人芝居を神様に奉納して、みんなで楽しむ、というわけだ。だけど今、その関連をマクラで述べたところで噺のおもしろさが増すわけでもないので、そんなことはすっかり忘れられて、『蛙茶番』はいつの季節にも楽しめる噺になっている」

 知らなかった。ああ、もう日本橋のべったら市は終わっちゃったかな?

 「旧暦11月10日が本来のようだ。今の歳末で、その頃にならないと昔はべったら漬もいい味にならなかったのだろう。東京ではずいぶん古くから10月20日頃になっている。これは酉(とり)の市や歳の市とのバランスがあってのことかもしれない。先年亡くなった十代目桂文治師匠は『蛙茶番』が十八番だったが、恵比寿講を意識して、秋にやることが多かった。バレ噺的な面があるので四季にやるのはどんなもんかな、とも言っていたよ」

 では、秋の噺についてはこの辺で―――。

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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