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落語ってこんなにおもしろい

文・京須偕充

ダブル襲名

2007年11月03日

 この秋は、林家木久扇(きくおう)、二代目木久蔵・父子ダブル襲名で寄席興行界は盛り上がりました。父と子が一緒に、というのは珍しいんですってね。

 「息子が父親の名前を継ぐ場合は、これは落語家に限ったことではないけれど、父亡きあとというのが、いちばん多い。まあそれが一般的なケースだね」

 そうですよね、親と子が同じ名前になるわけにはいきませんものね。

 「父が子に名前を譲って、自分は隠居名(いんきょな)を名乗るというケースは能狂言、歌舞伎や邦楽、日本舞踊などの世界では昔から、そして今もよくある」

 どんな例がありますか。

 「1981(昭和56)年秋に歌舞伎の八代目松本幸四郎が松本白鸚(はくおう)になり、長男の六代目市川染五郎が九代目松本幸四郎を襲名して、ともに11月の披露興行の舞台に立った。白鸚の名前での、それが最初で最後の舞台になってしまったのだけれどね。こういうケースを昔の人はよく、終わり初物といったものだよ」

 落語家ではどうしてダブル襲名が少なかったんでしょうね。

 「答えは簡単さ。歌舞伎や邦楽、舞踊の世界には古くから『家』のシステムが確立していた。まるで公家(くげ)や大名のように世襲で名跡と芸が継がれてきた。茶道、華道などもそうだな。これは日本独特のものだ。西洋の芸術文化にはない現象だね。」

 そうですね。代々音楽家の家系なんてのは、たとえばバッハ一族のように結構ありますけど、それが地位や権利に結びつくことはありませんからね。まあ芸術文化世襲の功罪は、いつかどこかで大いに議論してみたいものですが、落語家だけがなぜ例外だったんでしょうか。

 「これまた答えは簡単さ。べつに落語家が西洋思想の個人主義にかぶれていたわけではない。つい近年まで、世襲に価する権益と名誉がなかっただけの話だ。落語家は『家』のシステムによって、大量の素人弟子から吸い上げる月謝の権益もない。純粋な舞台の個人芸だ。売れればなかなかのものだが、大多数は名もなく渋く慎ましい人生に終わる。昔は息子に継がせよう、また、父の仕事を継ごうという者がなかった、というのが落語家だ」

 今はすっかり変わりましたね。

 「それだけ落語の市民権が確立したわけで結構なことだ。あまり『家』の芸にならないほうがいいが、志ん生と馬生・志ん朝親子のような見事な例もあるから、これからはダブル襲名も増えてくるだろう。古い例だが、戦前の五代目三遊亭圓生と戦後の六代目圓生は義理の父子で、1922(大正11)年に父が五代目橘家圓蔵を襲名する際、子が父の前名を貰って三遊亭圓窓になり、3年後に父が五代目圓生になると同時に、子が父の名を継いで六代目橘家圓蔵になっているよ」

 大正時代のダブル襲名! 大きな話題になったんですか。

 「そんなことはなかった。昔はひっそり、淡々としたものだったようだ。イベント性がなかったから、あの志ん生は16回も改名、襲名をしたのさ。世の中が違うのだから、これからは大いにメディアに騒いでもらっていいと思うが、行末に名前を残すのは、その芸人の芸と人気。世襲であろうとなかろうと芸人の実力が決め手だ。由緒ある名跡にすがるような落語家では心もとない。圓朝のように自分一代で名前を残す人が最高だ。その点では今回の襲名、お父さんは木久蔵でも初代、木久扇でも初代、立派なものさ。二代目木久蔵も心してがんばってほしい」

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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