現在位置:asahi.com>文化・芸能>コラム>落語って、こんなにおもしろい> 記事 文・京須偕充 雪の噺(2)2008年02月26日 その後も東京では何度か雪が降りました。大阪など、ふだん雪の少ない太平洋側にもこの冬は雪がよく降りますね。 「何十センチも積もるようなことは滅多にないが、こんなふうによく降る冬は何年にいっぺんぐらいの率であるね。五代目古今亭志ん生の録音に、お釈迦様の日の大雪というまくらがあったが、4月8日に東京で20センチほど積もったことがあったそうだ。明治40年前後のことで、私の父からも聞いた記憶がある」 大雪で都市機能不全なんてことは今も昔もあるのでしょうが、そんな状態を描いた噺はありますか。 「なくはないが、むしろ例外的だ。すべての人が難儀をするような状況はね、小説や芝居の材料にはなり得ても落語にはあまり都合がよくないのだ」 どうしてですか。 「ある人にとってはとても不都合だが、別の人にとってはそうでもない。かえって好都合のこともある。そういうマダラ状況を背景にして、人それぞれの立場や状況を思い切りおもしろく描いていく。それが落語の常道であって極意なのだ。だから、台風や地震の噺はまずないだろ」 火事の噺はたくさんありますね。 「そこだよ。火事は、被害を受けた人にとっては深刻な災害だが、火事見物をする奴らもあるように、遠く離れた人間にとってはいわゆる『対岸の火事』。その是非は別として、そういう人間のありようがそのまま落語の元素になるのだね」 となれば雪も豪雪では落語に縁がない。 「まあ江戸や大坂の町に豪雪や雪崩が起きるのは、それこそ三千年に一度あるかないか。日常性はゼロだね。昔の東京人はよく『雪が降ってきたが、どうせ芝居の雪さ』なんて言ったものだよ。芝居の舞台に降る紙片の雪のように美しいけど恐るるに足らずということなのだ」 昔の人は日常に芝居を見出していた、とはいえませんか。 「そういう面もあったかも知れないね。雪に少しばかりの非日常性を発見して雪見に出掛けたり、俳句を詠んだり雪見酒を楽しんだりした。そうした感覚が噺の雪にも反映していて、雪を心理的な情景としてうまく使っているよ」 立川志の輔さんがよくやる『新版しじみ売り』は雪の降る道を主人公が歩むラストシーンが素敵ですね。 「昔、志ん生がやっていた『しじみ売り』も雪が降っていたが、志の輔は主人公が自首する決意を雪道の歩みに託して描き出した。かなり映画的だね。雪の白さと足元から這い上がる冷たさがドラマを感じさせるね。昔六代目円生がやり、今、桂歌丸がやっている『双蝶々雪の子別れ(ふたつちょうちょうゆきのこわかれ)』もそうで、江戸の雪は噺の悲壮感を出すには打てつけだ。歌舞伎でも『佐倉義民伝』の佐倉宗五郎の子別れ、『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』での直侍(なおざむらい)と三千歳(みちとせ)の別れなどは、いずれも雪の中の悲痛な別れの名場面だね」 雪は静かに降り積もるものでしょうが、そこにドラマがひそんでいるというわけですね。 「そのドラマの頂点が『鰍沢(かじかざわ)』だろう」 プロフィール
PR情報この記事の関連情報 |
ここから広告です 広告終わり どらく
鮮明フル画面
一覧企画特集
落語オーディオブック
ショッピング特集朝日新聞社から |