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落語ってこんなにおもしろい

文・京須偕充

花見の話(1)

2008年03月21日

 すっかり春になりました。花見と落語。ことばだけでもワクワクします。

 「落語家も高座でマクラに言うことがあるが、わが国では花見といえば桜の花を見ることだね。昔から観梅は梅見と言い、また菊見という催しもあったが、桜見という必要はなかった。まあ明治以降、観桜会のような名称もあるが、依然として花見ということばが主流だね」

 落語にも『長屋の花見』『花見の仇(あだ)討ち』『花見酒』『花見小僧』など、花見を題にした演目がたくさんありますね。

 「上方では『長屋の花見』が『貧乏花見』、『花見の仇討ち』は『桜の宮』だがね。『花見小僧』は花見時そのものの噺ではなくて、花見のときに起きたことをしゃべる噺だ。題に花や桜が付いてなくても、『崇徳院(すとくいん)』はおそらく花見時に男女の出逢いがあって、それが原因で騒ぎが起きる、という設定だな」

 花見の頃は気候もよくて人が動きますから、状況をしつらえるのに向いているのでしょうか。

 「それはそのとおりだね。花見の頃を背景にしたほうが、いわゆる映(うつ)りがいいというわけだ。紅葉でも青葉でもいいのだけれど、花いっぱいのほうが見る人、聴く人の想像をより豊かにするのだね。歌舞伎や舞踏のジャンルでも背景が花景色というケースはとても多いよ」

 桜の花がなくてもいい噺なのに、花見時にしたためにいっそう効果が上がるという例は?

 「『百年目』という大作があるな。それは大店(おおだな)、つまり大きな商家の一番番頭が秘密の遊興を盛大にやって旦那に見つかってしまう噺だ。その結果信用をなくして、三十何年かの奉公――勤務歴を棒に振る結果になるか、それとも旦那の度量で大目に見てもらえるのかという、人間関係、とくに経営者と幹部社員とのギリギリの関係を描くのがテーマなのだが、番頭のその隠れ遊びが、芸者や幇間(ほうかん)を連れた盛大な花見の宴だったというわけだ」

 なるほど。花見はメーンテーマではない。

 「設定としては、座敷で遊んでいるところをたまたま旦那に見つかるというほうが、ずっと現実的で可能性が高いのだが、花見の場にすることで噺が華やかになる。後半に人生問答めいたシリアスな部分があるだけに、遊びの場面は夜の座敷遊びよりは、昼のアウトドア・イベントのほうがコントラストにもなるというわけだ」

 よく考えられた設定ですね。

 「考えられた、というよりもね、落語は長い年月の間にいろいろな演者が手がけて軌道修正を重ねた集積だから、自然とよりよい知恵に落ち着いていくのだよ。その点では小説や映画より無理がなく行き届いている。芝居がさまざまな演出や版を重ねた場合に似ているね。落語は日本文化300年の知恵のかたまりさ」

 桜の満開までには日がありますから、落語と花見の話もまだ三分咲き、もうしばらく楽しむことにしましょうか。

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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