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落語ってこんなにおもしろい

文・京須偕充

花見の話(3)

2008年04月11日

 花見の噺といっても桜が咲いてみんなが楽しくお花見をして、という噺ではないのですね。

 「それだけではそれこそ話にならないよ。何かいつもと違うことが起きて、それを核にして噺が発展していく。それが落語だ。前にも言ったように、花見は格好の背景というわけだよ」

 たしかに『花見の仇討ち』などは花見の趣向が大失敗する噺ですものね。

 「大失敗そのものが噺の核心だ。だがそれは、花見ならではの趣向だったというわけだ」

 花見でにぎわう場所で、人々をあっと言わせることをしでかそう、という魂胆ですね。

 「はねっ返り三人組のストリート・パフォーマンスだ。江戸っ子にはそういう気風があったようだね。まあ、仇討ちまがいの騒ぎを無闇にやっては人騒がせで、治安に厳しい昔のことだから処罰されかねない。花見の場の趣向ということなら大目に見られたということだろうね」

 『花見酒』も花そのものには縁のない男二人の錯覚噺ですね。

 「花見の場所で一儲(ひともう)けしようというのだから彼ら二人には微塵(みじん)も風流心はないよ。酒を売ろうというアイデアはよかったが、まずは自分たちが一杯飲む。その代金が二人の間を行ったり来たりして売り手側で全部飲んでしまう。料金は二人の間を往復するだけでいっこうに増えず、酒は確実に無くなった――。一種の寓話(ぐうわ)だ。かつて高度成長期の頃の日本を花見酒経済と評した人があったが、あまり真剣に論議されなかったのでバブルが崩壊したのだろうよ」

 落語が予言していたようですね。

 「それほどでもないだろうが、落語を甘く見てはいけないね」

 『あたま山』も桜から事が始まる一種の寓話ではないでしょうか。

 「シュールな噺といわれているが寓話性はたしかにあるね。サクランボのタネを飲み込んだら芽が出てその男の頭を突き抜け、大木に育ち、花が満開になった。噂を聞いて花見客が頭の山に押しかけた。酔っ払って頭の崖から耳へ転落する者もある。うるさくてたまらないので桜の木を抜いたら頭に大穴があいた。雨水がたまって池になり魚が住みつき、釣り人でにぎわう。釣り舟も浮かんで芸者遊びの涼み舟さえ漕ぎ出した。ああうるさい、もういや、と男は自分の頭の池へ身を投げた――」

 ホントにシュールな発想ですよね。

 「落語的発想のひとつの典型だろうね。だがこの『あたま山』という噺は発想は奇抜なのだが、文字で読み、アタマで考えた方が実演を聴くよりおもしろいという不思議な噺で、サゲがシュールだとはいっても、これで笑わせるのは至難の業だな。花見の噺の話は、この辺でお開きにしようか」

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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