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ラクゴロク

「実録・枝雀師匠に入門志願」 松尾貴史

聞き手:西秀一郎
構成:小松照昌
2006年06月13日

 あるときは俳優、あるときは脚本家、あるときはナレーター、そしてあるときはソムリエなどなど、松尾貴史さんの才能はとどまることを知りません。そんな松尾さんですが、大学生のころ故・桂枝雀師匠のお宅に入門志願に行ったとか……そのあたりからお話を聞かせていただきました。

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松尾貴史さん

 僕、会いたいと思ったらアポイントメントも取らずに、会いに行ってしまうという難儀な習性があるんですよ。小学6年生か中1ぐらいから枝雀さん、ま、当時は小米いう名前やったんですけど、ずっと好きやったんです。だからとにかく会いに行きたかったんですよ。それで大学4年の時、その頃、卒業してもおそらくまともな就職口ないやろうと思ってた僕は、「枝雀師匠に入門をお願いする」ということを口実にして、師匠に会いに行ったんですわ。ちょうど廓(かまえ)正子さんていう方の書かれた「まるく、まぁ〜るく桂枝雀」っていう本がありまして、それにね、豊中市熊野町4丁目……って住所が書いてあったんです。枝雀師匠の本名は“前田達”さんでしょ、ですから近所に行って前田さんち探したらあるやろと思って。で探したら、あったんですわ“前田”さんちが。表札見つけて「ここや!」と思って呼び鈴押したら、奥さんとおぼしき女性が出てこられたので、「師匠いらっしゃいますか?」って言ったら、その女性が、「は? 何の御用ですか?」って言わはったんですよ。“僕の言い方が悪かったんかな?”と思って、今度は「あの、入門のお願いにあがりました!」と言ったら、「入門……? ああ、それやったらお向かいですよ」って。枝雀師匠のお向かいさんも前田さんやったんです・・・・。なんかこうなるともう半分ぐらい意気消沈っていうか、士気が下がってるというか。ほいで今度は本物の“前田”さんちの呼び鈴を押したら、中から一知君(枝雀師匠の長男)が出てきた。「師匠いらっしゃいますか?」って言ったら、その小さな子供が、「留守でおます」って言ったんですわ。小学生ぐらいの子が、「おます」って。

 僕はなんか脱力して「そうですかぁ〜、また来ます〜」言うて帰ったんです。やっぱり本気やなかったんでしょうなぁ、ただ会いたかったから行っただけで。入門志願を口実に会って「うわ、ほんまもんや」っていうような感じを味わいたかっただけなんですよ。

 ――結局、枝雀師匠には会えなかったんですか?

 でも、ほんまもんにはもう中学校の時には会ってるんです。ちょうど枝雀師匠が小米から枝雀になった頃ですわ。僕が神戸サンテレビの“上方落語大全集”っていう番組の収録を観覧しに行ってたら、ロビーで枝雀師匠が1人で座って、落語のネタを繰っていたんです。観覧希望の人たちがうろうろしてる所で1人で「ブツブツブツブツ」言いながら。で、僕はその稽古(けいこ)しているのを中断させて話しかけてね。おまけに生徒手帳2枚ちぎって、「サイン2枚下さい」って。なんか、「子供2枚!」みたいな感じで、「2枚下さい。友達にあげるんで」って軽々しくお願いしたんですが、師匠はちゃんと2枚、丁寧に似顔絵までつけて書いて下さって。そのころの枝雀師匠の頭には、まだ髪の毛があったので、サインの似顔絵にもクルクルクルクルと縮れた髪の毛を書いてはりました。その当時、僕もまだ子供やったから、枝雀師匠に気軽にしょうもない質問してしまったんです。「ネタ何個あるんですか?」とかね。今考えると冷や汗が出ますわ。でも、枝雀師匠はそんな子供の質問に、「70から80ぐらいですかなぁ」みたいなことをちゃんと答えてくれはりました。

 ずっと後になって、この業界で仕事を始めてからしばらくして、大阪朝日放送の「枝雀寄席」っていう番組の対談コーナーに呼んでいただいたことがあります。僕はその番組がすごく好きで、学生の時ずーっと録画して見てたぐらいなんで、ものすごくうれしかったんですけど……、本番では緊張してうまいことしゃべられませんでした。何を話したかも覚えてないです。恥ずかしくて、その日の放送は見なかったと思います。

 ――多才な松尾さんですが、ご自身で落語をやろうと思うことはありませんか?

 実は何べんもやったことあるんです。でも、なかなか難しいもんですよね、自分では“できるやろう”と思ってやるんですが、途中でカーッと頭が真っ白になってしまうんです。これがお芝居なら助け合いが出来る。相手がしゃべってる間に「あ、そやった」って思い出せるんやけど。ペース配分も難しいし、ウケるやろうと思ったところがウケへんかった時なんて動転して次の言葉が出てこなくなる。だから落語家さんはすごいことやってはんねんなぁと思いますね。それでも5回か6回やりました。

 ――すみません、存じ上げませんでした。

 いやいや、そりゃそうですよ。恥ずかしいからそんな目立つとこではやりません。一番最近でいうと、3年ぐらい前にワッハ上方で1回「住吉駕篭」を。あと、その前は、15年くらい前に紀伊国屋ホールで「くしゃみ講釈」をうろ覚えで……。その時は、時間20分しかないのに、時間配分でけへんので45分もやってしまいました。あと、談春さん、志らくさんと3人で、銀座のソニービルにあったソミドホールで2回ぐらい。その時は「青菜」と「代書屋」をやりましたね。後もう1回どっかで……あ、そうや、吉朝さんと僕で、二人会やったんです。昔阪急ファイブのところにあったオレンジルームいうところでやった「吉朝・キッチュのメルトダウン落語会」。その時は、新作のネタを中島らもさんに書いてもらいました。でも、らもさんも吉朝さんも亡くなってしまいました。寂しいですねぇ。

 ――松尾さんは関西のご出身ですが、江戸前の落語もお聞きになりますか?

 狭い日本でそんな上方、江戸前言わんでもええかなという気もしないでもないんですけど。まあ、そもそもで言うたら、落語は関西のもんですからね。落語の開祖と言われている露の五郎兵衛米沢彦八も関西の人ですし、江戸の方では鹿野武左衛門っていうけど、鹿野武左衛門も大阪生まれの人ですからね。結局、落語の開祖と言われる人は3人とも関西の人じゃないですか。だから上方の方が元と言えば元ですが、でも、そっから発生して東京でも定着しましたって言うのも事実なんです。つまり、サッカーの本場がイギリスかブラジルかでもめるようなもんですよね。上方がイギリスで、ほんで江戸がブラジルなんかもわかりませんね。そういう風に捉えれば、どこでやってもいいじゃないですかっていうような気もするけどなぁ。両方好きですよ僕は。

 ――なるほど。サッカーにたとえるところが松尾さんらしい! ちなみに今年7月15日、16日、17日3日間連続で大銀座落語祭2006が開催されます。これには東西の落語家さんが大集合します。

 それ、行きたいんですわ。(マネージャーさんに向かって)スケジュールなんとかしてね! チケットとれないんでしょうなぁ。

 ――そうですね落語ブームといわれていますから……。

 朝日放送が昔、1080分落語会っていうレコード出したんご存知ですか? これは1080分、つまり18時間、朝から夜までずーっと落語をやるという朝日放送ラジオの開局20周年記念番組をレコードにしたもんなんですよ(周波数1010キロヘルツで、出力が50キロワットのアップになり、それに開局20周年を足した数字が1080だった)。当時の朝日放送のプロデューサーだった狛林利男さんという方がこの企画を言い出して、最初、松鶴師匠に「米朝師匠と松鶴師匠と2人で18時間、朝から夜までやってもらえませんか」ってお願いしたらしいんですよ。そしたら松鶴師匠に「アホか!」って一喝されたっていう話があるんですけどね。でもその後で米朝師匠に相談したら、「大阪の落語家も今増えてるさかいに、全員が出てやる言うんやったら出来るかもわからへんなぁ」って言ってくれはって、当時の上方落語協会所属の落語家56人全員が参加して、18時間、1080分やりきった。これが落語ブームの先駆けとなったんです。これはすごかった。その中のハイライトの、松鶴、米朝、鶴光、小米(後に枝雀)ら12人の落語が入ってて、それが3枚組のLPになってるんです。

 ――そのレコードは復刻したらすごいですね。しかし、狛林さんもすごいこと思いつきましたが、それを最初に引き受けた米朝師匠もすごい人ですね。

 僕がデビュー当時にね、毎日放送のお笑いの登竜門みたいな感じの番組に出たことがあるんです。司会がべかこさん(現南光)で、審査員に米朝師匠、海原小浜師匠、で、足立克己さん。確か星五つ貯めたら、事務所斡旋してもらえるとか何かがあったと思います。もう忘れましたけど。まだ“キッチュ”ではなく本名で出てた頃です。それで、合格して星もろて、本番終わったんやけど、スタジオがやっぱり珍しいじゃないですか。ほんでね、こうやって見上げてると、後ろから草履の音がペタペタペタペタするんです。僕が振り返ると、米朝師匠がスタジオの隅にいる僕のところに来はって、「おまはんのあそこはこうやけども、こういうところはこうや。それと、あの全体の構成がもっとこうしといた方が得やで」みたいなことをね。こんな一素人に言うてくれはったんです。こんな贅沢なことないでしょ。もう、涙が出そうになりましたね。

 ――米朝師匠らしいお話ですね。

 何年か前に(米朝師匠の十八番の)「地獄八景亡者戯」を舞台にしたんですよ。僕と役者4人の、計5人でね。そしたら近鉄小劇場まで米朝師匠が見に来てくれはりましてね。「ご招待いたしますんで」言うたら「いや、絶対払う」ってお金払て。もう感動しましたよ。そんで芝居の後、わざわざ楽屋に来てくれはったんです。僕が「どうでしたか?」ってうかがったら、「よう、こんなしんどいことやったな」って。あれはうれしかったです。その後、同じ芝居を東京の青山円形劇場でやったんですよ。ほたら談志師匠が見に来てくれはったんです。それで同じように「どうでしたか?」って聞いたら、「あんなことは1人でやれ!」って叱られました。1人でやったら落語やがな! 

 ――・・・・。やっぱり米朝師匠は優しい人ですね!

 両方ともやさしさなんですけどね。

西 秀一郎(映像・音楽プロデューサー)
1963年、東京生まれ。塗装工、運送屋、調理師などを経て1989年東芝EMI(株)に入社。企画モノ、リイシュー、クラシック、落語など独自の世界を築く。米朝一門の担当として上方落語の普及に尽力し、プロデュースした「桂枝雀落語大全」(CD、ビデオ、DVD)は空前の大ヒットとなる。2000年に独立。(株)ディスクベリー・ドット・コム代表。
小松 照昌(放送作家・ライター・三弦奏者)
1967年、大阪生まれ。中学の時に桂枝雀の落語に出会い、枝雀師匠に弟子入りを志願するもかなわず、三味線を習い始める。その後、枝雀夫人のはからいで「枝雀落語大全」のスタッフに。現在は放送作家として活躍中。

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