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ラクゴロク

「しゃべるノッポさんは落語流」 高見のっぽ

聞き手:西秀一郎
構成:小松照昌
2006年07月10日

 昨年、「グラスホッパー物語」で歌手デビューし、72歳にしてますますご活躍の高見のっぽさん。NHK子供番組で約24年間ノッポさんを演じた高見さんにお話を伺いました。

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高見のっぽさん

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NHKみんなのうた「グラスホッパー物語」
(C) NHK / 松本俊明 / 高見のっぽ / I. TOON
DVD+CD】 税込2,000円 ポニーキャニオンより発売中
絵本】税込1,050円 世界文化社より発売中

 (高見のっぽさんプロフィール)

 ――お生まれはどちらですか?

 ボクはね、京都の太秦(うずまさ)のいわゆる役者長屋で生まれたんです。その頃、おやじは市内の映画館で映画と映画の合間にやるアトラクションに出演していました。「チャーリー高見」という芸名でチャプリンのものまねをやっていたんです。でも、4歳になったばかりの頃に東京の玉ノ井(いまの東向島)の棟割り長屋に移ったので、京都のことはほとんど覚えていませんし、京都弁を使った記憶もないんです。

 ――ジャズやミュージカルがお好きだということは知っていますが、落語もお好きだとか?

 ボクが小さい頃というとね、ケラケラと声を出して笑える娯楽といったら、ラジオから流れる「あきれたぼういず」のようないわゆる"ボーイズ"モノの漫談か落語だけでしたから、そりゃあもう聞きましたよ、落語。でもね、子供に落語は難しいでしょ、だから落語のわかる子と、わからない子がいましたね、ボクのまわりでは。そこへいくと、うちはおやじが芸人でしたから、小さなボクを寄席などに連れて行って厳かに言うんです。「いいか、あの人のあの動きをよーく見なさい、実にうまいから」とか、「昔の円朝はもっとすごかったんだぞ」なんて。それこそ名人がやる「時そば」なんて、見てると無性にそばが食べたくなって、帰りにそば屋がいっぱいになったくらいですから……自然に好きになりましたよ、落語。

 ただ、戦争がありましたから、ボクらの子供の頃は……。

 話はそれるけれど……玉ノ井の表通りになじみの老夫婦が営んでいた喫茶店がありまして、おやじとおふくろは晩ご飯のあとに、よくボクを連れて行ってくれたんです。裏長屋に住んでいて決して裕福ではないのだけれど、そこは芸人の家庭ですから、そういうおしゃれなところがあったんですね。

 両親は必ず紅茶とロールケーキをいただくのですが、それを少しずつ分けてもらうわけです。ボクはそのロールケーキがとてもとても楽しみでした。ところが小学2年のある日、その老夫婦が悲しそうにおやじにひそひそやってる。「もう、ロールケーキは作れないの」って。何気なく聞いてしまったその言葉に自分が巻き込まれていく何ともいえない雰囲気を感じましたね。"大好きなロールケーキが食べられない"んだって。

 それから数日後、近所の遊び仲間が「餅菓子屋から餅菓子が消えたぞ!」っていうので、みんなでその餅菓子屋へ走って行ったら、昨日までガラスのケースに並んでいたおはぎやあんころ餅がさーっと消えてしまったんです。それが、子供にとっての戦争の足音だったんですね。戦争が激しくなると、うちは岐阜県に疎開するんですが、その頃はもうラジオで落語を聴いて笑った記憶はありません。

 ――さて、NHK「できるかな」のノッポさんについてお聞きしたいんですけど。ノッポさんは最初からしゃべらないという設定だったのですか?

 最初からしゃべらない設定でした。1967年からノッポさんを始めて、当初は「なにしてあそぼう」という番組名で、1970年から「できるかな」になったのですが、1990年まで約24年間、番組で一度もしゃべらなかった。一度もピンマイクをつけませんでした。

 よくボクの動きをパントマイムだという人がいるのですが、ボクはパントマイムをやっているつもりはありませんでした。例えばサイレント映画はすべてパントマイムだったかというと違うでしょ。ボクの場合、どちらかというと親父に連れられて観た落語の所作に近い感覚だったと思うんです。

 ――つかせのりこさんのナレーションも印象的でした。

 "のこ"のナレーションはアフレコではなく同時進行でやっていたんです。ボクとゴン太くんの動きを見ながらナレーションをつけるのです。もちろん台本はありますが、本番までに2日間の稽古があって、その稽古の中でだんだんこしらえていったんです。"のこ"は頭のいい人でしたから、稽古でのハプニングなどを極力見ないようにして、本番にその新鮮さを残していましたね。つまり"のこ"のナレーションていうのは、番組を見てくれている子供達の気持ちを代弁していたんです。そのことを一番わかっていたのが"のこ"でしたね。

 ――最終回で初めてセリフがあり、「うわー、しゃべっちゃった」。その日のことを教えてください。

 その日のスタジオはちょっと不思議な感じでした。ボクがしゃべるわけで、つまりピンマイクを仕込んだノッポさんがいるわけですから。緊張はね、しませんでした。ボクの声はいい声だ、そのいい声をお聞かせするんだなんていう、いたって、いたって浅はかな気持ちでいましたから、アハハハ。

 ――「うわー、しゃべっちゃった」っていうセリフはアドリブだったんですか?

 最後のセリフ、あれは全部アドリブでした。それであの「うわーっ、しゃべっちゃった」になったんです。真意を話すとね、今までしゃべらなかったのにしゃべってしまった、これはあのしゃべらないノッポさんへの決別ですから、勝手に決別してしまっていることへの、ボクなりの謝罪の意味があったんです。

 でも当時、その反響には驚きましたね。街を歩いていたりすると、いきなり大の大人がボクを見て泣き出すんですから。"ああ、随分と長いことやって来たんだなぁ"と思いましたよ。でも、一番うれしかったのは「イメージ通りの声でした」って言われたことですね。もし、イメージ通りの声じゃなかったら、今こうしてテレビや講演でしゃべっていないと思うんです。しゃべっちゃってから16年、いまでもノッポさんをやっていられるのは、イメージ通りの声だったからだと思うんです。

 ――昨年は歌手デビューも果たしました。

 はい。話芸とは無縁のところにいたわけですが、最近はテレビでも講演などでもしゃべることが当たり前になっています。不思議なもので、ふと気がつけば「あ、これは落語だな」って思うことがあるんです。知らないウチにボクの話し方のスタイルが落語になっちゃってる。

 ――今度は子供のための落語なんてどうですか? 高見亭ノッポなんて。

 ははは、いいねえ。

西 秀一郎(映像・音楽プロデューサー)
1963年、東京生まれ。塗装工、運送屋、調理師などを経て1989年東芝EMI(株)に入社。企画モノ、リイシュー、クラシック、落語など独自の世界を築く。米朝一門の担当として上方落語の普及に尽力し、プロデュースした「桂枝雀落語大全」(CD、ビデオ、DVD)は空前の大ヒットとなる。2000年に独立。(株)ディスクベリー・ドット・コム代表。
小松 照昌(放送作家・ライター・三弦奏者)
1967年、大阪生まれ。中学の時に桂枝雀の落語に出会い、枝雀師匠に弟子入りを志願するもかなわず、三味線を習い始める。その後、枝雀夫人のはからいで「枝雀落語大全」のスタッフに。現在は放送作家として活躍中。

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