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2006年08月11日
33年の時を経て再びリメイクされた映画「日本沈没」。その原作者でわが国SF界の重鎮、小松左京さんは、知る人ぞ知る上方演芸界の重鎮でもあります。今回インタビュアーを務めたのはこのコーナーの構成を担当している小松照昌さん。実は彼、小松さんの甥で、風貌も瓜二つ。さてさてどんな本音が飛び出すことやら……。
 小松左京さん
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 噴火、街を襲う=「日本沈没」から、東宝提供
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 崩壊した国会議事堂や東京タワー=「日本沈没」から、東宝提供
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(小松左京さんのプロフィール)
――今年は「日本沈没」の映画がリメイクされ、その続編「日本沈没 第2部」も出版されました。今再び「日本沈没」が注目されてるのは何でやと思わはりますか?
そやねぇ、「日本沈没」が出版されたんは1973年なんやけど、書き始めたんは1964年でね、その年の10月が東京オリンピックで、東海道新幹線が開通した年でもあった。そこから9年かけて書き上げたんやけど、その頃はまさに高度経済成長のまっただ中やったわけや。当時は浮かれた日本人に警鐘を鳴らそうと思て書いてたんやけど、書き上げた73年にはオイルショックが起こって、形は違えどほんまに日本中がパニックになった。そやから「日本沈没」が売れたんかも知れんなぁ。
今再びブームになってんのは、テレビの衛星中継やインターネットが普及したから世界中の災害、大きな地震やらそれによる津波、また地球温暖化が進んだことで最近増えて来た異常気象、例えばアメリカのハリケーンなんかの映像も見られるようになったやろ。それを目の当たりにした日本人が「やっぱり自然には勝てへん」と再認識したいうこともあるかも知れへん。でも、ブームのほんまの原因なんてわからんわ。「ハリーポッター」がなんであんなに世界中で売れたんか、僕にはいまだにさっぱりわからへんからね。
――落語好きだそうですが、落語を聞き始めたきっかけいうのは何やったんですか?
小学校の頃によく読んでた昔の漫画、幼年倶楽部、少年倶楽部とかに短い笑い話が載っててね、「この帽子ドイツんだ? オランダ」いうようなね。そういうのが好きでよく覚えてたな。それと親父が歌舞伎や寄席が好きでね、面白い親父やった。宴会なんかがあって遅く帰ってくると、その宴会で歌ってた唄なんかを教えてくれた。例えば中抜きの童謡とかね。「もしもし亀さんよ。世界にお前ほど。歩みのものはない。どうして遅いのか」。こんな風に中だけ抜いてあんねん。それから、浦島太郎の替え歌で、「むかしむかしへその下。助けた亀のへその下。竜宮城のへその下。絵にも描けないへその下。乙姫様のへその下?」……とかね。小学校の時よくこんなん覚えて歌ってな、先生や教育ママやった母親からよう叱られた。
こんな変わった子供やったし、兄貴が落語好きやったから落語聞くのも早かったな。で、小学校2年ぐらいの頃、JOBK(NHKラジオの大阪放送局)で金語楼(きんごろう)さんの落語を初めて聞いた。これは金語楼がほんまに兵隊さんにとられた時のことを落語にした"兵隊落語"っちゅう国策落語やったな。当時は夜の9時以降にしか落語は流れてへんかったから親に隠れて聞いてた。それから「寿限無(じゅげむ)」聞いて一生懸命それを覚えたりもしたな。
――今までに落語をモチーフにした作品いうのはありますか?
「たちぎれ線香」を素材にした「天神山縁糸苧環(てんじんやまえにしのおだまき)」とか、「反魂香(はんごんこう)」を素材にした「反魂鏡(はんごんきょう)」。それから「たぬき」「明烏(あけがらす)」みたいに題名をそのまま使ってるやつもあるな。処女長編作が「日本アパッチ族」いうてね。この話の中に、鉄を食って鋼鉄人間になっていくいうところがあるんやけど、これなんか「蛇含草(じゃがんそう)」にちょっと似てるかな。
――落語とSFいうのは似てると思わはります?
似てると思うな。落語にも奇抜な発想の話が多いし。僕は「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」が大好きなんやけど、あれなんかこの世でない"地獄"を描いたSFやし、「月宮殿星の都(げっきゅうでんほしのみやこ)」なんてちょっとした宇宙旅行みたいなもんやな。あと「鷺とり(さぎとり)」。鷺をいっぱい捕まえて帯にくくり付けといたら、一斉に羽ばたかれて空を飛んでしもたなんてアホな話やけど、これもSFかも知れへんな。でも世界中どこに行ってもSFはあるけど、落語みたいな1人がしゃべる滑稽話いうのはね、世界中探してもちょっとあれへんのちゃうかな。欧米なんかでコメディアンがちょっと軽口話やるみたいなんはあるんやけどな。「地獄八景亡者戯」なんて全部やったら1時間以上もかかる。こんな長い話を1人でやる芸は世界中どこにもあれへんと思うな。
そういうたら星新一も落語が好きやったな。おもろい人でな。1963年にSF作家クラブいうのを星さん達とこさえたんや。創立メンバーは僕ら以外に、半村良とか光瀬龍、あと手塚治虫、それに筒井康隆とかね。それでこれから会員が増えるやろうと思てな、SF作家クラブの入会資格を決めよういうことになったんや。そしたら星新一がね、「宇宙人はダメ。死んだ人はダメ。これは競馬に夢中な奴が中におったからやけど、馬はダメ。4番目が星新一より背の高い人はダメ。筒井康隆よりハンサムな人はダメ。ほんで小松左京より重い人はダメ」言いよんねん。それでな、一回星さんより5センチほど背の高い人が入ってきたんや。その時星さんがどない言うたと思う? 「足をツメろ!」やて。ひどい話やろ。
――米朝師匠やその一門の方の落語会の時はよう楽屋にいてはりますなぁ。
僕が落語聞き始めた頃は、JOBKしか落語をやってなくて、流れてたんは東京の落語ばっかりやった。だから最初は志ん生(しんしょう)さんのファンやったんや。その後、昭和30(1955)年頃、NHKより先に民放が上方落語を流すようになってね、それ以来、上方落語も聞くようになった。東京の落語と違って上方落語はお囃子が入るからにぎやかやし、やっぱり関西人の僕には大阪弁が合うてたんかも知れんな。「上方落語もおもろいな」と思て、米朝(べいちょう)さんとか好きになった。忘れられへんのが昭和46(71)年に、米朝さんがサンケイホールで独演会開くいうのを聞いて見に行った時のことや。その当時、落語やるいうたら普通は寄席やった。200人入ったら満席っていうような寄席でやっとったんやね。それを1000人以上客入れて、効果使って、マイク使って……「そんなん無理やろ」と正直思ってた。ところがこれがものすごかった。1000人以上の客が一体になって笑たり泣いたりしててな、芝居や映画の比やなかった。あまりにも良かったんで賞賛より先に危機感を感じたんや。「こらえらいこっちゃ。頑張らんとSFが上方落語に負ける!」とね。
――確か米朝師匠とラジオ番組やってはりましたよね。
昭和34(59)年からラジオ大阪で「いとし・こいしの新聞展望」の台本書きをやってたんで、米朝さんと初めてあったのは、産経会館やったと思う。追っかけで楽屋にちょくちょくおじゃまするようになって、一緒に飲みに行ったりもするようにもなってきてな、いろんな話で盛り上がってたんや。そしたらそこにおったラジオ大阪のスタッフが、2人の話が面白いと言うんで番組作ろうって話になった。でもなかなかタイトルが決まらんかったんでな、それは番組が始まってから公募して決めようってことになったんや。それで当時「題名のない音楽会」って番組があったんで、それをちょっと拝借して「題名のない番組」ってタイトルでとりあえずスタートした。そしたら3回ぐらいやった頃かな、スポンサーに「もういいかげん題名決めてくれ」と言われた。でもそれほどええタイトルも送られて来んかったし、「もうこのままでええか」ということで正式に「題名のない番組」に決まった。昭和39(64)年から4年半ほどやったかな。
――反響はどないでしたか?
リスナーから葉書もらってフリートークする、いわゆるディスクジョッキーみたいなんがまだおらへん時代にそんな番組始めたんや。それと当時はまだ深夜放送なんてなかったから、夜の11時から放送して聞いてくれる人なんかおんのかなと思ってた。けど、ふたを開けてみたらぎょうさん葉書が送られて来た。関西はもちろん、あの頃、ラジオ大阪が1380キロサイクルでね、短波に近いもんやから電波がよう飛んでね、東京とか九州とか日本のあちこちから葉書が来よんねや。今度は学生のリスナーが増えすぎて心配になった。しかも、大阪の北野高校とか天王寺高校とか東京の進学校とかの生徒がこんな時間帯にね、一番受験勉強やらないかん時にね、この放送聞いてたら日本の未来を危うくするんじゃないかと思てね、当時米朝さんと心配してた。
ところがそれから20年くらいたったある時ね、SFについて話してくれと大蔵省から呼ばれたことがあったんや。で、東京に行ったら大蔵省やからね、いかにもキャリアらしい人が車で迎えに来てくれた。車に乗ったらその中の1人が「僕、『題なし』のファンやったんです。葉書も2回採用されたんですよ」て言いよった。そしたらその横に乗ってた彼の先輩がね、「お前はたかが2回じゃないか。俺は3回採用されたんだぞ」って自慢しとった。僕らのラジオを聞いてた奴が、大蔵省のエリートになっとったんや。しかも、「投書が採用されたことを誇りに思ってる」言うてた。これはうれしかったな。
――米朝師匠以外に仲良かった落語家さんいうたらどなたですか?
枝雀(しじゃく)と吉朝(きっちょう)やな。どっちも早うに亡くなってしまったんやけど、ほんまに残念な話や。吉朝とは米朝さんが関西テレビでやってた「ハイ土曜日です」って番組でワンコーナー持ってた時に一緒に仕事をしてたんや。べかこ(現南光)と吉朝の2人で、「東の旅」とか「西の旅」に出てくるところや、落語や芝居の舞台になっているところを実際に歩いたりする「上方芸能散歩」ってコーナーやったかな。枝雀の方はよく落語会にも行ったし、ABCの「枝雀寄席」にゲストととして出演もしたな。いつも僕は彼のことを「枝雀ちゃん」って呼んでてね。これは後で聞いた話なんやけど、本人はそれを嫌がってたらしいな。理由は僕が早口やから、「枝雀ちゃん」が「しわくちゃ」に聞こえるらしくてね。「僕はしわくちゃやない!」って怒っとったらしいわ。ゴメンな枝雀ちゃん。
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