
大御所徳川家斉は、老中首座水野忠邦を呼び、川越藩松平家の荘内移封を命じた。松平家は家斉の24番目の男子斉省を養子に迎えていた。財政難の川越藩は、大奥を通じて大御所へ取り入り、また御側御用取次の水野忠篤らに賄賂を使い、豊かな荘内への移封を願ったのだ。
国替えの思惑が露骨すぎると思った水野忠邦は、長岡藩の牧野家を加えた「三方国替え」とすることを提案。荘内藩酒井家に「酒田港の取締り不行届き」という理由をつけ、長岡への国替えを命じる。
この国替えの沙汰に荘内藩は驚愕した。領知が半分以下になるうえ、取締り不行届きという理由も到底承服できるものではなかった。荘内藩は、世子酒井忠発と江戸留守居役の大山庄太夫を中心に、幕府要人へ幕命撤回の嘆願と贈賄工作を開始する。