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藤沢周平の世界

本所しぐれ町物語/橋ものがたり

作品の舞台を訪ねる

東京都中央区・台東区・墨田区・江東区

 本所しぐれ町は藤沢周平が創出した町なので、実際に訪ねることはできない。だが、藤沢がしぐれ町の場所として想定したという「林町や徳右衛門町の近く」は、現在の墨田区立川1〜4丁目付近にあたる。本を片手に歩いてみれば、しぐれ町の“匂い”を感じとることができるかもしれない。『橋ものがたり』には、大小さまざまな橋が登場する。荒布橋や親爺橋など、現在は存在しない橋もあるが、永代橋、両国橋、萬年橋など、今にその名をとどめる橋もある。当然ながら、江戸時代のそれとは規模も材質も構造も異なり、橋を渡るのも車やバイクが目立って、趣はかなり違う。それでも現地を訪れれば、江戸時代と同じ名の橋に不思議な感慨が湧いてくるものである。

写真現在の新大橋。
写真笄橋跡

新大橋と安宅丸
 大川四橋の一つ、新大橋は元禄6年(1693)に架橋された。当時「大橋」と呼ばれていた両国橋が上流にあったため(架橋は1659年と1661年の2説ある)、「新」の名が付いたといわれる。新大橋は広重が「大はしあたけの夕立」に描いた橋で、ゴッホが模写したことでも知られている。現在の橋は昭和51年(1976)の架橋。橋の袂に立つ「御船蔵跡」の碑は、江戸時代、この場所に幕府の御用船の格納所があったことを示している。この御船蔵に欠かせないのが、安宅船(安宅丸)のエピソード。安宅船は、室町時代後期から江戸時代初期にかけて各地で造られた大型戦艦の名称で、大きいもので長さ50メートル以上、幅10メートル以上、1000石積以上もあった。しかし西洋や中国の船のように竜骨(船底の中心部分を縦貫する力材)がなく、強度に劣ったともいわれる。寛永11年(1634)、徳川家光が向井将監に建造させた史上最大の安宅丸は全長約62メートル、排水量約1700トン。2層の矢倉と2層の天守を有し「海上の城」と称されたが、あまりに巨体すぎて航行が困難だった。そのため同12年に家光が試乗した後、御船蔵脇に係留されたまま天和2年(1682)に解体された。〈その跡地に出来た御船蔵前町を、年寄があたけと呼ぶ〉というくだりが、『橋ものがたり』の「思い違い」に出てくる。

笄(こうがい)橋跡
 『橋ものがたり』の「まぼろしの橋」で、おこうは幼い頃に捨てられた場所を「笄橋」と思い込んでいた。笄橋は、外苑西通りの1本西側、かつて笄川が流れていた(現在は暗渠)この通りから青山の高台へ続く「牛坂」の坂下に架かっていた。「笄」とは髪を整える道具のことで、刀の鞘に差すこともあった。10世紀の天慶の乱の折、源経基が、平将門の一味が構えるこの橋の関所を通過するとき、敵意のないことを示すため笄を差し出したことから、のちに笄橋と名づけられたといわれる。ほかにも「香貝」「小貝」、またはこのあたりに甲賀、伊賀組の屋敷が多く「甲賀伊賀橋」と呼ばれたなど、橋の名前の由来には諸説ある。

2007年02月08日

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