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1956年認定 1876.12.15−1972.2.27
三世吉住小三郎について長唄の修行をはじめ、1890年歌舞伎座音楽部に入り、四世小三郎を襲名。1902年長唄研精会(けんせいかい)を創設し、明瞭な発音や節回しの長唄を普及発展させた。57年文化勲章を受章。63年慈恭と改名。
1956年認定 1901.8.23−1973.9.20
八世芳村伊四郎の養子になり、持ち前の美声と繊細艶麗な唄い方で、長唄の第一人者となる。1938年九世伊四郎を、51年七世伊十郎を襲名。研究熱心で新作も多数手がけ、『勧進帳』『二人椀久(ににんわんきゅう)』などを得意とした。
1974年認定 1900.10.6−1981.8.23
江戸長唄宗家に生まれ、11歳で初舞台。1916年十四世六左衛門を襲名。代々の三味線方から唄方に転じ、父・杵屋寒玉、四世吉住小三郎(慈恭)にも師事した。繊細華麗な独自な芸風をつくる。『壇ノ浦』など多くの新曲もつくった。
1974年認定 1907.9.5−1995.2.16
幼少より長唄を習い、四世吉住小三郎(慈恭)に師事。1924年吉住小三八の名を許され、長唄研精会に入る。戦後、師の小三郎から離れ、古典長唄や稀曲を復活演奏。69年日吉流を樹立し、70年日吉小三八と改名。
1987年認定 1911.1.6−1997.10.18
幼少から長唄を修業し、1916年四世杵屋佐吉に入門。23年初舞台。早くから頭角を現し、四世佐吉の作品ですぐれた演奏をおこない、舞台、放送、レコードなどで幅広く活動。古典だけでなく、新作も数多く制作、演奏した。
1997年認定 1923.11.21−
十四世杵屋六左衛門の長男で、幼少より長唄を習う。1930年十五世杵屋吉之亟を襲名。東京音楽学校に進み、長唄三味線の山田抄太郎の指導を受け、42年十五世杵屋喜三郎を襲名。伝統的な技法を高度に体現。長唄協会名誉会長。
1998年認定 1934.3.25−
1950年稀音家六幸治(きねや・ろくこうじ)に入門し長唄の修業をはじめ、その後、八世稀音家三郎助(さぶろうすけ)に師事。53年東京藝術大学に入学し、山田抄太郎に学ぶ。同校研究家で長唄の音楽的研究に取り組む。生来の美声で活躍している。
1955年認定 1899.3.5−1970.6.8
三世杵屋六四郎(稀音家浄観)の門弟で、1913年杵屋六次を名乗り長唄研精会に入会。歯切れのよい撥(ばち)さばきで第一人者となる。『夜遊楽(やゆうらく)』『胡蝶舞』などを作曲。51年本名にもどり独立。長年、東京藝術大学で教えた。57年東音会を創立。
1964年認定 1894.2.15−1979.3.10
三世杵屋栄蔵の門弟となり、1913年栄二を名乗る。37年から中村吉右衛門劇団で歌舞伎長唄の発展に尽力。柔らかな音色と堅実な撥(ばち)さばきに特色があった。歌舞伎や長唄の古典復活や作曲、「栄二譜」とよばれる独特な記譜も手がけた。
1984年認定 1915.10.22−1984.8.4
二世今藤長十郎の次男で、幼少より父の薫陶を受ける。1920年『雛鶴三番兜叟』で初舞台。42年三世今藤長十郎を襲名。華やかさのなかに滋味あふれる芸風。洋楽との接点も探求し、『心の四季』などの新曲をつくった。
1987年認定 1906.2.20−2003.3.29
父は二世今藤長十郎、実弟は三世長十郎。幼少より父や祖母から長唄三味線を習い、1920年初世杵屋五三郎(ごさぶろう)に入門。のちに杵屋勘次や杵屋佐登代と演奏活動。三世長十郎の作品を演奏、古典曲の発掘、復活にも努めた。
1989年認定 1918.12.11−
長唄囃子方の望月長之助の次男。1933年初世杵屋五三郎に入門。三味線の音締めのよさで早くから注目され、『日月星(じつげつせい)』などを作曲。78年三世五三郎を襲名。古典の継承に努め、大曲、秘曲、難曲を積極的に上演する。
1999年認定 1935.9.8−
1951年三世堅田喜惣治(きそうじ)に入門し長唄鳴物の手ほどきを受け、翌年国際劇場で初舞台を踏む。53年三世堅田喜三久を襲名。以後、独学で修業を重ね、小鼓、大鼓、太鼓の長唄鳴物のフリーの代表的演奏者になる。
2006年07月18日