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週刊人間国宝
芸能 新派 歌舞伎(6)

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今週のわざ新派とは

山田庄一 元国立劇場理事

 明治維新による文明開化の流れの中で、板垣退助らの自由民権運動が起こると、これに呼応し政治思想の宣伝手段の1つとして、いわゆる壮士芝居が始まった。1888年(明治21)、角藤定憲(すどう・さだのり)が大阪の新町座(しんまちざ)で旗揚げしたのを皮切りに、川上音二郎(かわかみ・おとじろう)も堺で幕を開けるとまもなく上京して浅草に進出、世相を諷刺(ふうし)した「オッペケペー節」で人気を博した。彼らに続く伊井蓉峰(いい・ようほう)は、政治色を排した純粋な新演劇運動を目指し、女優を加えた済美館(せいびかん)を結成、これに続く山口定雄(やまぐち・さだお)、福井茂兵衛(ふくい・もへえ)らが新劇団を組織すると、壮士芝居の面々も次第に政治から離れて新しい演劇の模索へ向かう。当時の出演者を見ると、高田實(たかた・みのる)、藤沢浅二郎(ふじさわ・あさじろう)、喜多村緑郎(きたむら・ろくろう)、河合武雄(かわい・たけお)、井上正夫(いのうえ・まさお)らがいるが、舞台の形式は相変わらず歌舞伎の模倣に終始して、演劇的な進歩は見られなかった。 [全文を読む]

今週紹介の人間国宝喜多村緑郎 / 花柳章太郎 / 三代目尾上多賀之丞 / 六代目市川団之助 / 六代目澤村田之助

もっと知るために

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【伝統を学ぶ】

 三線(さんしん)の音が教室に流れる。 講師の児玉洋子(こだまようこ)先生の声が歌うように響く。 [全文を読む]

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【劇場・本・原作本】

【劇場】
新橋演舞場  新橋演舞場(しんばしえんぶじょう)は1923年(大正12)に着工し、関東大震災に遭いながらも、25年、当時の東京市京橋区木挽町10丁目(現・東京都中央区銀座6丁目)で新築開場した。 当初は新橋芸者の技芸を披露する場としてつくられ、現在でも続けられている「東をどり」を主に公演していたが、春と秋にしか行わないため、空いた期間にさまざまな興行を行うようになった。 [全文を読む]

今週の人間国宝名鑑

◆喜多村緑郎(きたむら・ろくろう)

1955年認定 1871.7.23−1961.5.16

明治期の新演劇運動に参加したあと、1906年佐藤紅緑の『侠艶録』で女方に。『滝の白糸』『婦系図』などの鏡花物で、歌舞伎とちがう女方を作り上げ、大正期に伊井蓉峰、河合武雄と新派の黄金時代を築いた。演技、演出に造詣が深かった。

◆花柳章太郎(はなやぎ・しょうたろう)

1960年認定 1894.5.24−1965.1.6

小学生で喜多村緑郎に入門し、1908年初舞台を踏む。15年泉鏡花の『日本橋』のお千世で評判を呼ぶ。新派女方に精通し、『明治一代女』や『鶴八鶴次郎』などが当たり芸。新派の古典に関して生き字引的存在でもあった。

◆三代目尾上多賀之丞(おのえ・たがのじょう)

1968年認定 1887.9.21−1978.6.20

四代目浅尾工左衛門の養子。東京の小芝居各座に出勤。1921年六代目尾上菊五郎の女房役となり、女方専門に。27年三代目尾上多賀之丞を襲名。老婆の役に枯淡な味を示し、『仮名手本忠臣蔵』のおかやなどが当たり役。

◆六代目市川団之助(いちかわ・だんのすけ)

1960年認定 1876.7.1−1963.9.27

7歳の時、京都・四条北座で初舞台を踏む。1886年上京し九代目市川團十郎の門弟になり、1915年六代目市川団之助を襲名。長きにわたり敵役やふけ役で活躍し、数少ない脇役陣として老練で枯淡な演技を示した。

◆六代目澤村田之助(さわむら・たのすけ)

2002年認定 1932.8.4−

幼少から祖父・七代目澤村宗十郎、父・五代目澤村田之助に薫陶を受け、1941年初舞台。六代目尾上菊五郎、七代目尾上梅幸らに指導を受け、女方の技芸を習得。64年六代目澤村田之助を襲名。のち立役も勤め、芸域を広げる。

2007年02月13日

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