- ◆竹本土佐廣(たけもと・とさひろ)
1982年認定 1897.7.9−1992.7.28
大阪市生まれ。父の感化で義太夫語りをはじめ、鶴澤勇造、竹本伊達太夫らに師事。1910年大阪での初舞台で天才少女の評判をとる。41年竹本土佐廣を名乗り、重厚な語り口で、相三味線豊沢猿幸とのコンビで活躍した。
- ◆竹本駒之助(たけもと・こまのすけ)
1999年認定 1935.9.25−
兵庫県淡路島生まれ。1949年大阪で竹本春駒に入門し、駒之助を名乗る。文楽の多くの太夫、三味線弾きに師事ののち竹本越路大夫の門人となる。52年上京し、義母の鶴澤三生を相三味線に、女性の義太夫節浄瑠璃語りとして活躍。
- ◆鶴澤友路(つるざわ・ともじ)
1998年認定 1913.12.9−
4歳から三味線を習い、9歳で初舞台を踏む。1936年大阪・文楽座の鶴澤友次郎に入門。41年鶴澤友路を名乗り、真打に昇進。三味線奏者として活動するかたわら人形芝居のさかんな淡路島で、後進の指導にもあたっている。
- ◆二世都一広(みやこ・いちひろ)
1956年認定 1879.3.18−1970.8.13
清元節を習得したあと、1898年初世都一広に師事して一中節を修業し、女流第一人者に。派手な芸風で『道成寺』などを得意とし、作曲にもすぐれた。宮薗節、河東節、荻江節なども習得。1955年二世都一広を襲名。
- ◆都一いき(みやこ・いちいき)
1996年認定 1926.12.20−1997.1.24
幼少から長唄の唄、三味線の稽古をはじめ、杵屋栄基衛を名乗ったあと、1955年十一世都一中に師事して一中節を修業。59年都一いきの名を許される。伝統的な表現に加え味わい豊かな弾き語りを工夫する新規さがあった。
- ◆七世宇治紫文(うじ・しぶん)
1999年認定 1933.8.8−
山形県生まれ。幼少より山田流箏曲を学び、NHK邦楽技能者育成会で研鑽を積む。1958年六世宇治紫文に師事して一中節を本格的に修業。箏曲などの素養をもとに、太夫として曲を的確に格調高く語り、91年七世宇治紫文を襲名。
- ◆十一世都一中(みやこ・いっちゅう)
1984年認定 1906.9.4−.1991.7.8
十世都一中の娘で、幼少から長唄、河東節、宮薗節、荻江節、地歌などを学び、1925年都一花に入門して三味線を修業。その後、二世都一広に師事して一中節の伝統的で正当な芸風を習得。48年十一世都一中を襲名。作曲も手がけた。
- ◆宇治文蝶(うじ・ぶんちょう)
2001年認定 1935.9.10−
幼少から山田流箏曲を学び、1951年宇治文中(中田博之)に師事、箏曲のほか一中節三味線を習得。長唄三味線も修業。その後、宇治紫葉、宇治文喜に師事。74年宇治文蝶の名を許される。91年七世宇治紫文門下となる。
- ◆山彦節子(やまびこ・せつこ)
1994年認定 1920.2.7−
長唄、常磐津節を学んだのち、1954年六世山彦河良に師事して河東節を修業。57年山彦節子の名を許され、荻江節の荻江せつも名乗る。歌舞伎の十一代目・十二代目市川團十郎襲名披露の『助六由縁江戸桜』で演奏した。
- ◆四世宮薗千之(みやぞの・せんし)
1960年認定 1891.9.21−1977.7.26
幼少から義太夫節、清元節を学び、のち常磐津節、一中節を習得。1920年ごろに三世宮薗千之に入門し修業。艶美な語り口のなかに渋さと憂いがある宮薗節の情趣をよく表現した。53年四世宮薗千之を襲名。
- ◆四世宮薗千寿(みやぞの・せんじゅ)
1972年認定 1899.9.10−1985.9.2
幼少から長唄を学び、1917年三世宮薗千寿(荻江広)に師事し宮薗節と荻江節を修業。のち一中節も修業し、杵屋勝弥、宮薗千幸、荻江つまの名を許される。哀艶のなかに渋みがある演奏で、59年四世宮薗千寿を襲名。
- ◆宮薗千波(みやぞの・せんなみ)
1998年認定 1919.2.13−2002.5.23
横浜市生まれ。小学生で清元節を学び、小唄も修業。戦後、四世宮薗千寿に師事して宮薗節三味線を修業し、1963年宮薗千波の名で初舞台。その後も四世千寿の脇三味線を担当。古曲の保存・継承の活動もつづけた。
- ◆山崎旭萃(やまざき・きょくすい)
1995年認定 1906.3.5−
小学生で筑前琵琶を習いはじめ、1924年筑前琵琶日本橘会宗家橘旭宗に師事し、28年師範となる。基本的な演奏法に演奏者自身の工夫を加えて奏でる琵琶の技法に精通する。大阪を中心に普及や後継者の育成にも努めている。