- ◆常磐津一巴太夫(ときわづ・いちはだゆう)
1995年認定 1930.12.25−
京都市生まれ。幼少より能楽や長唄を学び、1948年常磐津文字一朗に師事して本格的に修業。52年一巴太夫の名を許され、54年大阪・中座で歌舞伎に初出演。78年東京・歌舞伎座に出演し、のち全国的に活動を展開している。
- ◆常磐津文字翁(ときわづ・もじおう)
1955年認定 1888.12.15−1960.8.6
父・二世常磐津文字兵衛が常磐津林中の三味線弾きだったことから、林中の教えを受け、13歳の初舞台で神童といわれた。1918年三世常磐津文字兵衛を襲名。堅実正確な弾き語りの名手で、作曲も多数。60年に文字翁を名乗る。
- ◆常磐津菊三郎(ときわづ・きくさぶろう)
1966年認定 1897.2.1−1976.9.27
10歳で常磐津都太夫のもとで太夫の修業をし、のちに三味線弾きに転じる。1917年立三味線に昇進。間の正しい中庸をえた撥さばきで第一人者になる。古曲を調査研究し、『鴛鴦容姿正夢』などを歌舞伎舞台で演奏した。
- ◆常磐津英寿(ときわづ・えいじゅ)
1992年認定 1927.1.15−
幼少より父・三世常磐津文字兵衛や叔父・四世常磐津八百八から常磐津節三味線を学ぶ。1948年立三味線に昇進。60年四世常磐津文字兵衛を襲名。伝統的な技法を的確に継承。また作曲もよくする。96年英寿を名乗る。
- ◆清元志寿太夫(きよもと・しずたゆう)
1956年認定 1898.4.25−1999.1.2
横浜市生まれ。奉公したあと、17歳から清元節を習う。1923年清元喜久太夫に入門し、24年五世延寿太夫の内弟子になり清元節を習得、志寿太夫を名乗る。天性の美声による華麗で色気のある語り口で第一人者として活躍した。
- ◆清元清寿太夫(きよもと・せいじゅだゆう)
2003年認定 1935.10.10−
1951年清元若寿太夫に入門、のち六世延寿太夫や三世栄次郎(のちの清元栄寿郎)に師事。56年清元清寿太夫を名乗り初舞台。六世延寿太夫の脇語りで実力を認められ、62年初めて立語りを勤める。清元志寿太夫の脇語りもしばしば勤めた。
- ◆清元栄寿郎(きよもと・えいじゅろう)
1955年認定 1904.4.21−1963.3.10
東京生まれ。6歳から清元節を学び、1916年初舞台。俊英の名声が高く、五世清元延寿太夫、栄寿太夫、志寿太夫の立三味線を勤める。37年三世清元栄次郎を襲名。堅実、優麗であざやかな撥さばきに定評があった。53年栄寿郎と改名。
- ◆二世清元寿兵衛(きよもと・じゅへえ)
1956年認定 1889.12.27−1966.6.1
父は二世清元梅吉。14歳から稽古をはじめ、1911年三世梅吉を襲名。五世延寿太夫の相三味線を勤めたが、訣別し、清元流を創立。豪快な撥さばきで清元節三味線の重鎮だった。55年二世清元寿兵衛を襲名。作曲も多く手がけた。
- ◆清元榮三郎(きよもと・えいさぶろう)
1996年認定 1927.6.24−2002.12.31
父は清元志寿太夫。幼少より母・清元延香の手ほどきを受け、1932年三世清元栄次郎(のちの清元栄寿郎)に入門。44年榮三郎を名乗る。66年立三味線となり、歌舞伎や舞踊の舞台で活躍。古典の研究や作曲にも取り組んだ。
- ◆清元榮三(きよもと・えいぞう)
2003年認定 1936.2.23−
1948年から二世清元一寿郎に清元節三味線の手ほどきを受け、51年からは三世清元栄次郎(のちの清元栄寿郎)の内弟子となって修業に励む。52年清元榮三を名乗り、翌年初舞台を踏む。72年初めて立三味線を勤める。
- ◆鶴賀若狭掾(つるが・わかさのじょう)
2001年認定 1938.7.11−
幼少より新内節太夫の父・鶴賀伊勢太夫から学び、1958年に鶴賀伊勢路太夫を名乗って本格的に活動を開始。伝統的な新内節の技法を的確に習得し、73年伊勢太夫を、2000年若狭掾を襲名し、後継者の育成に努めている。
- ◆新内仲三郎(しんない・なかさぶろう)
2001年認定 1940.9.26−
新内多賀太夫の次男で、幼少より長唄や日本舞踊を学ぶ。その後、叔父の新内仲造に入門して本格的に新内節三味線を修業。1956年新内富章を、57年新内仲三郎を名乗る。伝統的な演奏技法を体得し、感情を込めた演奏をつづけている。