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週刊人間国宝

語り物音楽とは(2)

竹内道敬 元国立音楽大学教授

 江戸における語り物音楽は、豊後節の始祖である宮古路豊後掾を源流とする。関西の語り物音楽である一中節の門下にいた豊後掾は、師から独立して江戸に進出した。心中・道行物を作詞・作曲し人気を集めたが、1739年(元文4)、風紀を乱すという理由で幕府からその演奏を禁止される。京都に戻った豊後掾は間もなく没した。

 その後、江戸にとどまった弟子たちがそれぞれ姓を変えて分派独立し、常磐津節、富本節(さらにここから清元節)、新内節の祖である富士松節など、新たな語り物音楽が現れた。これらに一中節を含めたものを「豊後系浄瑠璃」といい、そのうちの常磐津節、富本節、清元節を「豊後三流」という。

 関西で生まれた義太夫節や一中節は、ともに低く落ちついた音色を特色としたが、18世紀半ば頃の江戸ではそのままでは受け入れられなかった。その頃の江戸では、長唄の誕生に伴い、高くて軽い音が歓迎されるような下地が生まれつつあった。そこで常磐津節は上調子の三味線(本手より4度または5度高い調弦)を加えて高い音を加えたのが成功のポイントになった。その後、常磐津節は長唄との掛合や風俗舞踊にも進出して、歌舞伎舞踊になくてはならない音楽となった。

 富本節も同じような形式であったが、個人芸的な要素が強かったので、名人がいなくなると自然に衰退していった。

 一方、三味線の演奏法を変え、発声を工夫した清元節は、軽やかで澄んだ音色を手に入れ、発声も高い音に技巧をこらしたので、江戸人の趣味嗜好にかない、江戸の風俗舞踊の音楽として人気を得て、やがて富本節にとって代わった。

 新内節は歌舞伎などの舞台から退き、寄席や遊里などで演奏する座敷浄瑠璃として独自の発展を遂げた。庶民の暮らしに密着した題材、華やかに味をつける上調子の三味線に特徴がある。

2007年04月24日

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