「雅楽(ががく)とはどんな音楽か」。この問いに対する答えは非常に難しい。雅楽の起源はあまりに古く、しかも諸説あってはっきりしていないのが実情である。アジア各地にあったさまざまな国の音楽が古代中国に集まってまとまり、永い年月をかけて淘汰(とうた)・改良されて発展した音楽が雅楽だといわれている。その国々は林邑(りんゆう)(現在のベトナム付近)、天竺(てんじく)(インド付近)、渤海(ぼっかい)(中国東北部付近)、さらにチベットといった具合に、朝鮮半島からアジア大陸全域に及んでいる。
雅楽の歴史の中で最も古いとされる記述は、紀元前251年に秦(しん)の宰相(さいしょう)・呂不韋(りょ・ふい)が編ませた『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』という本にある。炎帝朱襄(えんていしゅじょう)(古代中国の神話上の皇帝)が治めていた時代、風が強く暑さが続いて作物が実らなかったとき、士達(したつ)という家臣が五絃(ごげん)の瑟(しつ)(大型の琴)を作り、これを奏して人民を治めた、という記述である。
古代中国にもたらされたさまざまな音楽は、殷(いん)(紀元前1600頃〜前1046年頃)から周(しゅう)(紀元前1046頃〜前256年)と徐々に発展した。この頃、孔子(こうし)(紀元前551〜前479)によって初めて「雅楽」という言葉ができたが、その雅楽とは古代中国の祭典楽のことなので、現在日本に伝わる雅楽とは少し違うものらしい。
だが、この時代に特筆すべきことが起きた。それは十二律(りつ)の音階が作られたことである。これを基として「宮(きゅう)、商(しょう)、角(かく)、徴(ち)、羽(う)」という五声(ごせい)音階が確立され、さらに「変徴(へんち)、変宮(へんきゅう)」を加えた七声(ななせい)音階へと発展し、唐(とう)(618〜907年)の時代になって雅楽はその華麗な花を咲かせ繁栄する。
そして雅楽は、遣唐使(けんとうし)や日本に渡ってきた彼(か)の国の人たちによってもたらされた。さらに朝鮮半島を経由して「高麗(こうらい)、新羅(しらぎ)」などの楽舞(がくぶ)、また、林邑からの渡来僧である仏哲(ぶってつ)によって林邑の音楽も入り、日本に「異国の音楽」の時代が訪れることになったのである。