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古写真で振り返る「京都市電」

 かつて洛中を走り回っていた京都市電は、生活に密着した「市民の足」でした。朝日新聞社に残された写真のほか、京都府立総合資料館の「京の記憶アーカイブ」で公開されている写真で振り返ります。制作にあたっては、同資料館の大塚活美氏のご協力をいただきました。
「京の記憶アーカイブ」

朝日写真フォトアーカイブ

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購入・利用について(おわけできない写真もあります)

日本初の路面電車・京電

  • 京都市内線の開業前日の試運転電車に乗り込み、記念撮影する京都電気鉄道(京電)の高木文平社長、大沢善助副社長ら=1895(明治28)年3月31日撮影。京電は1895年2月、伏見線で日本最初の路面電車を運

  • 京都電気鉄道の1号車を前にした記念写真=1895年ごろ撮影。車両はブリル21E形台車をつけたダブルルーフのオープンデッキ。左の人物の法被には「京都電気鉄道 作事方」の文字があり、関係者とみられる

  • 平安神宮近くを走る京都電気鉄道(京電)の電車。右後ろに平安神宮の建物が見える=1895年ごろ撮影。前部デッキに先走り(告知人)の少年が乗っている。電車後方は琵琶湖疏水。第4回内国勧業博覧会の会場が更地

  • 先走りを乗せて鴨川二条を渡る京電=1897(明治30)年ごろ撮影。ステップに立っている少年が有名な「先走り」(告知人)で、昼間は赤旗、夜間はちょうちんを持ち電車の前を走った。主に少年が先走りを勤めたが

  • 未舗装の竹田街道に敷かれた京電伏見線のレール=1900(明治33)年ごろ撮影。単線の狭軌が走る。1908年に複線化されているので、それ以前の撮影。当時は鴨川の勧進橋以南、竹田までは人家がほとんどなかっ

  • 二条城前を走る京電城南線の29号車=1902(明治35)年ごろ撮影。屋根に取り付けられた澤之鶴やライオン歯磨の広告が賑やかだ

  • 鴨川にかかる勧進橋を渡る電車=明治後期撮影。ダブルルーフとオープンデッキの古典的スタイルの木造電車。当時は木橋上を併用軌道で渡っていた

  • 初代京都駅と、京都電気鉄道(京電)の電車。京都駅舎2階には、1904(明治37)年に駅構内に開業した洋食店の看板が掲げられる=1910年ごろ撮影。京電開業当初は集電装置がトロリーポール1本だったが、写

京都市電の開通

  • 京都市電開業を記念し、「運輸開始」と書かれた飾り付けをした電車。建設工事中の壬生車庫を出発する=1912(明治45)年撮影。日本最初の路面電車を開業した京都電気鉄道(京電)に対抗し、京都市も中心部で路

  • 堀川丸太町を走る京都市電の花電車。直交する線路は狭軌の京電堀川線=1912年、石井行昌撮影写真資料/京都府立総合資料館「京の記憶アーカイブ」から

  • 京都市電開業当時の17号車=1912年、壬生車庫内。制服姿の若者が乗車している

  • 京都市電の開通一周年記念を祝う花電車。烏丸線の終点、烏丸今出川停留所に停車する=1913(大正2)年撮影。京都市電烏丸線は1913年5月26日に烏丸丸太町-烏丸今出川を延伸した

  • 高瀬川に沿って古い町家が並ぶ木屋町御池下ルを走る電車=1920(大正9)年ごろ撮影。写真の車両は、京電から引き継いだ狭軌のN8号車。厳冬期、オープンデッキに立つ運転士は目だけを出した完全防寒装備。電車

  • 車の姿がない四条西洞院交差点を、東へ向かって走る京都市電=大正中期撮影。四条堀川から四条西洞院までは、狭軌の京都市電堀川線(北野線)も走るため、標準軌、狭軌の3線が同時に敷設された区間。市民は「6線共

  • 烏丸七条を走る京都市電。後ろに見えるのは東本願寺=大正時代、石井行昌撮影写真資料/京都府立総合資料館「京の記憶アーカイブ」から

  • まもなく廃止される京都市電木屋町線の木屋町御池停留所に停まる狭軌のN125号車=1926(大正15)年撮影。12号系統の京都駅前発電車に、蜘蛛の巣模様の羽織を着た女性が乗り込む。京都市電に買収された京

戦前の京都市電

  • 昭和天皇の即位の礼を記念する京都市電の花電車=1928年(昭和3)撮影、京都御所前の丸太町線。即位礼は1928年11月10日、京都御所で行われた

  • 昭和天皇の即位の礼前夜、記念する京都市電の花電車が七条奉迎門前を通過する=1928年撮影。雅楽の楽器「鼉太鼓」(だだいこ)がデザインされた豪華な装飾の電車(左)も走る

  • 八坂神社前の祇園石段下(現在の祇園交差点)の絵はがき=昭和初期。「大京都」と書かれ、昭和初期のものとみられる。左の市電は1924年に作られた500型501号車

  • 堀川に沿って東堀川通を走る京都市電堀川線(北野線)の狭軌のN133号車=1931(昭和6)年撮影。京町家が並ぶ堀川竹屋町交差点には「商人宿」の看板を掲げた旅館がみえる。架け替えられたばかりの竹屋町橋を

  • 京都市電烏丸車庫で行われた女性車掌の実習=1936(昭和11)年撮影

  • 1937年5月7日に営業を始める京都市電九条線の九条大路壬生通停留所付近=1937(昭和12)年撮影。後方は東寺(教王護国寺)の南大門と五重塔

  • 交通マナー訓練の1日目、乗降する乗客=1940(昭和15)年撮影、四条烏丸停留所。「乗降は順序よく一列に」、「出入口をふさがぬ様」、「座席は互に譲り合ひ」と書かれた看板がみえる

  • 電車を待つ人たちでいっぱいになった京都市電停留所の安全地帯=1941(昭和16)年撮影

  • 超望遠カメラで撮影された四条河原町。左右に横切るのは市電四条線の300型電車308号車=1942(昭和17)年撮影。手前を走るのは市電河原町線。後方左側に京都市役所、島津製作所本社(現在は結婚式場)が

  • 戦時体制下の混雑防止のため京都駅前停留所で始められた一列乗車=1943(昭和18)年撮影。混雑対策で朝夕に急行運転を行うなどの方策がとられ、11月からは終日急行運転を行い、乗客の少ない停留所は事実上廃

  • 戦時中、河原町線の河原町三条停留所で満員の600型電車に乗り込む乗客=1944(昭和19)年撮影。京都市電気局は混雑緩和のため、43年11月から終日急行運転を実施、乗客の少ない停留所を実質的に廃止した

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戦後の京都市電

  • 河原町線の河原町三条停留所で乗車券を買う乗客=1946(昭和21)年撮影。京都市電気局(47年に京都市交通局と改称)は混雑緩和のため、戦時中の45年4月15日から車内での乗車券、回数券の販売を中止して

  • 京都市交通局が考案したつり革広告。つり革の設置費を広告主が負担すれば、1年間広告代が無料になるしくみだった=1947年撮影

  • 京都市電や市バスが中休みストに入り、ラッシュ時を過ぎて電車やバスの止まった河原町通。河原町三条の京都朝日会館から北を見る。左奥は京都市役所と島津製作所本社(現在は結婚式場)、右は京都ホテル(現・ホテル

  • 京町家の並ぶ狭い西洞院通を走る堀川線(北野線)のN121号車=1952(昭和27)年撮影。堀川線は、日本最初の路面電車を走らせた京都電気鉄道(京電)が開業した狭軌路線だった。「N電」と呼ばれた狭軌車両

  • 明治の面影を残す堀川線(北野線)のN127号車が撮影名所の堀川中立売の鉄橋を渡る=1954(昭和29)年撮影。手前は中立売通の中立売橋。開業当時は橋の東詰に転車台を設け、向きを変えていたが、事故が多発

  • 京都市電が導入した新形の900型電車907号の試運転=1955(昭和30)年撮影。ナニワ工機製

  • 1956(昭和31)年の夏、全国高校野球選手権大会で優勝し、オープンカーでパレードをする平安高の選手たち。市電もストップした

  • 今出川線の北野紙屋川町-千本今出川が完成、試運転の800型電車890号車が走った=1957(昭和32)年撮影

  • 今出川線の北野紙屋川町-千本今出川が開通、800型電車827号車の祝賀電車を前に、高山義三京都市長が開通式のテープを切った=1957年撮影

  • 堀川を渡って東堀川通から中立売通に入る堀川線(北野線)の25号車=1958(昭和33)年撮影

  • 京都市交通局前の京都市電千本線を走る最新型の700型電車705号車=1958年撮影。軽量化車体で両開き式の4枚折り戸の自動ドアが特徴。後方は壬生車庫に併設された京都市交通局庁舎(当時)

  • 東本願寺前で東側(左)に迂回する烏丸線の軌道。1912(明治45)年の敷設では、参拝者の安全に配慮し、迂回するルートになった。上方に1952(昭和27)年に完成した3代目京都駅、その手前は丸物京都店=

廃線が始まる

  • 京都市交通局北野営業所で整備される堀川線(北野線)の14号車=1961(昭和36)年3月撮影。北野から京都駅前を結ぶ路線が、7月に全線廃止されることになった。奥の寺院は本門佛立宗の本山・宥清寺

  • 北野天満宮の鳥居を背に、京都市電堀川線(北野線)の北野停留所で発車を待つ25号車=1961年撮影。北野から京都駅前までを結ぶ路線が、7月に全線廃止された。堀川線は、1895(明治28)年に日本最初の路

  • 京都駅を発車、西洞院通を北野に向かう京都市電堀川線(北野線)の電車=1961年撮影。家並みすれすれに走っていた。北野から京都駅前を結ぶこの路線は、7月に全線廃止された

  • 1961年7月31日限りで廃止される京都市電堀川線に登場した記念の花電車=1961年7月18日撮影

  • 路線廃止を前に二条城前の東堀川通を走る京都市電堀川線(北野線)の復元車=1961年7月26日撮影。廃止を記念してベスチビュール(前面窓)を撤去して京都電気鉄道創業当時の姿を再現した

  • 1961年7月31日限りで廃止される京都市電堀川線(北野線)で、ベスチビュール(前面窓)を取り外して創業時のスタイルに復元した電車を使った撮影会が開かれ、明治の服装をした乗客らが乗り込んだ=1961年

  • 1961年7月31日限りで京都市電堀川線(北野線)が廃止された。終点の北野で開かれたお別れの会にはモールで飾られた電車が並び、別れを惜しむ市民が集まった=1961年7月31日撮影

  • 古都の市電は市民の足。通学・通勤客があふれた市電停留所の安全地帯=1967(昭和42)年、京都市電烏丸線の四条烏丸停留所

  • 学園紛争が続く立命館大学で、学生たちが近くの河原町通の路上で、市電や市バスを止めて集会を開いた。「府立病院前」の停留所名がみえる=1969(昭和44)年撮影。立命館大学は1981年まで京都御所東側の河

  • 近畿地方でこの冬3度目の雪。京都市内では9センチの積雪があった。百万遍交差点のポイントが雪で詰まって動かなくなり、立往生した京都市電今出川線の電車=1969年3月4日撮影。この日は近くの京都大学などで

  • 1970(昭和45)年3月31日限りで廃止される京都市電伏見線の9号系統(京都駅前-中書島)京都駅前行き700型電車が立ち並ぶ酒蔵をバックに濠川を渡る=1970年3月25日撮影。廃止を前にしたさよなら

  • 伏見稲荷線の廃止を前に、市電からゆっくり街並みを見られるのもあとわずかと、記念乗車する人たちも多かった=1970年3月25日撮影。伏見線は京都電気鉄道(京電)が1895(明治28)に日本最初の路面電車

  • 自動車と並走しながら、鴨川にかかる勧進橋を運転する19号系統(京都駅前-稲荷)500型電車505号車。路線は1970年3月31日限りで廃止された=1970年撮影

  • 京都市議会で審議される京都市電撤去計画をめぐって激しくにらみ合う反対派(左)と賛成派=1970年11月19日撮影。臨時市議会で、1973年度末までに京都市電の外周線35.8キロを撤去する「財政再建計画

  • 古都を走り続ける京都市電烏丸線。正面は1964(昭和39)年、京都駅前に完成した京都タワー。奥の市電は11号系統の1600型電車。四条烏丸から烏丸通を南に撮影した=1970年撮影。京都市電烏丸線は19

  • 大文字山に向かって加茂大橋(賀茂大橋)で鴨川を渡る京都市電今出川線の2号系統(西大路九条-京都駅前)1000型電車1017号=1971(昭和46)年撮影

さようなら市電

  • 錦林車庫内で解体される京都市電600型電車。烏丸車庫所属車の方向幕を手にする鉄道ファンの子供たち=1971年撮影

  • 「ノーカーデー」を市民に呼びかけるため、京都市役所前に集まった「京都の市電をまもる会」の会員たち=1971年12月18日撮影

  • 京都市電千本・大宮線(九条大宮-千本北大路)が1972(昭和47)年1月22日限りで廃止された。花束を贈って1号系統(壬生車庫前循環)最後の電車を見送る市民たち。電車には「さようなら千本大宮四条線」の

  • 京都市電四条線(四条大宮-祇園)が1972年1月22日限りで廃止された。沿道の商店はショーウインドウの照明をいつもより明るくして最後の市電を送った。最後の夜を走る四条線1号系統(壬生車庫前循環)の18

  • 京都市交通局烏丸車庫の留置線に並ぶ廃車になった京都市電。ワンマンカーに改造されなかった車両のため、引き取り手はなく、解体処分された。右は900型電車933号車、左は700型電車719号車=1973(昭

  • 1974(昭和49)年3月31日限りで京都市電烏丸線(京都駅前-烏丸車庫)の七条烏丸-烏丸車庫が廃止された。「惜別」のヘッドマークを付けた700型電車708号車の運転士に感謝の花束を贈る鉄道友の会会員

  • 1974年3月31日限りで京都市電烏丸線(京都駅前-烏丸車庫前)の大半、七条烏丸-烏丸車庫が廃止された。ラッシュ時以上の客を乗せ、市民に送られて京都駅前停留所を発車する烏丸線の最終電車、1800型電車

  • 1976(昭和51)年3月31日限りで京都市電白川線(銀閣寺道-天王町)が廃止された。錦林車庫前で別れを惜しむ市民に囲まれた丸太町線の円町行き最終電車=1976年3月31日撮影。この日は今出川線と丸太

  • 七条壬生通と七条千本の間で山陰線をくぐる七条線の8号系統(九条車庫前循環)の1800型電車1820号車。「千本ガード」と呼ばれた撮影名所だった=1977年9月14日撮影。9月30日限りで京都市電七条線

  • 東寺の五重塔をバックに、京都市電九条線の電車を撮影できる歩道橋には最後の姿を記録しようと鉄道ファンたちが並んだ。九条通を走るのは22号系統(烏丸車庫循環)の1800型電車1832号車=1978(昭和5

  • 高野橋を渡る北大路線の1900型電車=1978年9月12日撮影。最後まで残った外周線(外郭線)が78年9月30日限りで廃止され、京都市電の全線が廃止された

  • 京都駅前の市電乗り場で34年間回数券のバラ売りをしてきた女性(当時77)は「最後の市電を見届けて私もやめたい」と目に涙を浮かべた=1978年9月12日撮影。9月30日限りで京都市電の全路線が廃止された

  • 1978年9月30日限りでの全線廃止を前に、京都市交通局の烏丸車庫で運転士の帽子を借りて記念撮影をする家族連れ=1978年撮影

  • 1978年9月30日限りでの全線廃止を控え、京都市電外周線の22号系統(烏丸車庫循環)が最後の活躍を続けた=1978年撮影

  • 京都市電廃止を前に、お色直しして1800型電車に引かれて烏丸車庫へ向かう保存車両の500型電車505号車(後ろ)=1978年9月26日撮影

  • 京都市電廃止を前に、最後の記念乗車をする子供たち。烏丸車庫前停留所に22号系統(烏丸車庫前循環)の九条車庫行き1800型電車1801号車が入線する=1978年9月30日撮影

  • 「記念にもう一度乗ってみたい」と詰めかけ、国鉄京都駅前の市電乗り場に行列ができた。停車するのは6号系統烏丸車庫行き1800型電車1839号車=1978年9月30日撮影

  • 夜の国鉄京都駅前の市電乗り場で発車する電車に別れを惜しむ人たち。停車するのは6号系統烏丸車庫行き1800型電車1822号車=1978年9月30日撮影

  • 京都駅前停留所に入る6号系統(京都駅前-烏丸車庫前)の最終電車をひと目見ようと電車の回りを埋め尽くした人たち=1978年9月30日撮影。京都市電で最後まで残った外周線(外郭線)と河原町線、七条線の残存

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