現在位置:asahi.com>文化・芸能>コラム>漫画偏愛主義> 記事

漫画偏愛主義

グーグーだって猫である(大島弓子)

2007年06月08日

表紙グーグーだって猫である (3) (大島 弓子  角川書店  ¥ 1,155)  

 言わずと知れた少女漫画の巨匠の1人。「花の24年組」の大島弓子、この5月に待望の3巻発刊だ。内容は猫との日常をつづった身辺雑記なのだが、ええ、首を長くして待っていましたとも。1巻が00年に出て、2巻の発行が02年末。「もう単行本になるくらいは連載がまとまったはずなのに、まだ3巻が出ない」と思い続けること数年。ネット書店で「近日発売」と表記されているのを見て、近所の本屋に出かけること数回。先日ようやく手に入れた。

 なぜこれほど遅れたのか。後書きを読むと、どうやら大島、カバー画をなかなか描かなったらしい。そうか、そういうこともあるわよね。2巻がガンの闘病記だったので、いらぬ心配をしてしまった。飼い猫も9匹になったそうで、元気そうでなによりだ。

 長く連れ添った愛猫サバとの別れの後、グーグーと同居を始めた大島。「グーグー…」ではその日常が描かれる。1巻ではグーグーとの関係を築いていく様子が細かに表現されていた。2巻ではステージ3にまで進行したガンとの戦いを描いた。

 抗ガン剤の副作用、病気への恐怖など、きっと大島の心中は千々に乱れていたことだろう。それなのに、大島は最後の最後のところでユーモアを失わない。窓の外の鳩や青空に希望を見いだし、著者の病状を案じる読者たちに安心をくれていた。繊細な物語をつづってきた大島の感性の根っこは、こういうタフさがあったのか、と納得する。

 今回の3巻は、子猫5匹を拾い、その里親を探す様子が描かれている。その里親候補の1人が、漫画家の萩尾望都なのが「さすが24年組」と思うのだが、まあそれは置いておいて。大島の生き物への愛は深い。それは飼い猫であってもそうでなくても一緒なのだ。

 「捨てられた飼い猫はその場を行きつ戻りつしながら迎えを必ず待っているというのが私の持論なのだ 絶対絶対そうなのだ捨てたやつは動物のこんな気持ち知らんのだろう」

 聞こえてきた鳴き声を頼りに捨て猫を探す大島はこう独白する。そうか、私も知らなかった。犬猫を捨てたことはないが、責任を取りきれなくなることが怖くて、捨て猫を拾ったこともなかった。猫の気持ちが分かる大島は、捨て猫を見捨てることもせず、責任もって里親を探し、最終的には「うちの子にする」という決意を持って猫を拾う。

 結局、大島は猫たちのために一戸建てを買う。そう、大島はそれができる大人なのだ。大島がほとんど少女漫画を描かなくなって久しいが、大島も私も、とっくの昔に少女を卒業している。「綿の国星」のチビ猫に共感していつか人間になれることを夢見ていた少女ではない、「猫のために家を買いたい」と思ったらできるのだ。いや、私はせいぜいマンションの頭金程度しか貯金はないが。まあ、そういう自分の希望をかなえる力を得られるなら、大人だって悪くないかもしれない。

 ちなみに、数年前に同僚が大島にちょっとしたエッセーを依頼したところ、「猫の世話が忙しいので」と丁重にお断りされたそうだ。

 それはちょっとさびしいぞ。とりえあえず、大島の無病息災と、息の長い仕事を祈りたい。

powered by amazon

プロフィール

松尾 慈子(まつお・しげこ)
1992年朝日新聞入社。金沢、奈良支局、整理部、学芸部などを経て、現在、名古屋本社報道センター記者。漫画好き歴は四半世紀超。一番の好物は「80年代風の少女漫画」、漫画にかける金は年100万円に達しそうな勢いの漫画オタク。

PR情報

このページのトップに戻る