現在位置:asahi.com>文化・芸能>芸能>音楽> 記事 77歳チェコ人指揮者、日本で「第二の人生」2008年05月06日12時42分 77歳にして、日本で本格的な活動を始めたチェコ人指揮者がいる。ラドミル・エリシュカ。チェコ音楽界きっての実力派だが、共産党政権下で国外に出られず、国際的には長く光が当たらなかった。4月、札幌交響楽団の首席客演指揮者に就任。チェコの自然を彷彿(ほうふつ)させるおおらかな音楽づくりで、各地の楽団との共演も相次いでいる。(吉田純子)
3月から東京・上野で開かれた「東京のオペラの森」では東京都交響楽団を率い、ドボルザークの交響詩「野鳩(のばと)」を演奏。若々しい腕の振りで奥行きのある響きを紡いだ。 日本での活動の足がかりをつくったのは札響だ。06年に初共演。新たな美質を引き出した演奏に感銘を受け、音楽監督の尾高忠明が首席客演指揮者のポストを新設した。評判が評判を呼び、9月に大阪フィルハーモニー交響楽団、来年2月にNHK交響楽団、来秋に九州交響楽団と、立て続けに客演も決まった。 本人は、歓迎にとまどいつつも、喜びを隠さない。 「ウィーンで不遇だったモーツァルトが、プラハで受け入れられ、『プラハは僕を理解した』と言った時の気持ちが分かる気がする。日本で私の第二の人生が始まった」 父がアマチュアのバイオリニストで、音楽に親しんで育った。名門のプラハ音楽アカデミーを目指すが、教会で指揮をやっていたことが共産党の不興を買う。やむなく進んだブルノの音楽アカデミーでチェコを代表する作曲家、ヤナーチェクの高弟バカラに薫陶を受け、温泉保養地カルロビバリの楽団で69年から21年間首席を務めた。「小さな楽団と徹底的につきあい、成長を見守る方が性にあっていた。今思うと幸運だった」 辛苦を味わったのはむしろ89年の民主化、いわゆる「ビロード革命」の後。国内すべての楽団の指揮者が、外国人にすげ替えられたのだ。「伝統の響きは一度失われたら二度と戻ってこない。新しい風を求める人々は、そのことにあまりに無頓着だった」 現在はプラハ音楽アカデミーで教鞭をとり、後進への指導に夢をつなぐ。4月に札響と演奏したヤナーチェクの「タラス・ブーリバ」では、作曲者自身の修正に加え、自分でも修正を入れた。 「大切なのは、様々な演奏が作品につけてきた足跡を知り、その上で、必ず自分ならではの何かを加えること」 日本でチェコ音楽が愛されていることを喜びつつ、まだ神髄は伝わっていない、とも。「私が開拓できる世界、まだまだありそうです」 PR情報文化・芸能
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