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チェンバロのためだけに 中野振一郎が10日リサイタル 

2008年06月05日14時38分

 チェンバロ奏者の中野振一郎が10日、東京・築地の浜離宮朝日ホールで「ベルサイユ・クラブサン楽派の再現」と題したリサイタルを開く。一昨年、デビュー20年を迎えて以降、温めてきた企画だ。「ピアノではなく、チェンバロでなきゃできない表現を追究したい」と現在の思いを語る。

写真中野振一郎とチェンバロ=山崎虎之助撮影

 関西弁交じりの軽妙なトークで、どこへ行っても人気者だ。ラグタイムやオペレッタをチェンバロで演奏し、古楽の門戸を大きく開く役割を果たしてきた。一昨年、ライフワークである「ゴルトベルク変奏曲」の新録音を出した頃から、「本当にやりたいこともやってみよう」と思い始めたという。

 やりたいこととは、フランスの太陽王ルイ14世(1638〜1715)の治世を彩った音楽の紹介。バロック前夜、フランスらしいロココの精神が花開いていた時代だ。

 当時の音楽は、政治的駆け引きの道具に使われた。王の栄華をほめたたえて懐に入るために「指がこんがらがるようなスポーティーな装飾を塗りたくった」という。これを中野は「傲慢(ごうまん)な装飾」と呼ぶ。この露骨な傲慢さこそが、様々な制約が生まれてくるバロック以前の芸術の魅力に相違ない。

 歴史に埋もれた作曲家マルシャンの音楽に、とりわけそうした魅力がある。バッハとのチェンバロ対決を控えた前夜に逃亡するという「事件」で音楽史に名をとどめているが、「バッハにはない自由さや、宮中で培われた独特の気取りが魅力」。今回の公演で彼の再評価も狙う。

 映画「めぐり逢う朝」のモデルにもなったマラン・マレが「天使」と呼ばれたのに対し、「悪魔」と呼ばれたフォルクレの作品も。「息子の才能をねたみ幽閉するという人格の破綻(は・たん)ぶりすら、その音楽に獰猛(どう・もう)なきらめきを与えている」と中野は言う。「勧善懲悪を超えた、人間のどす黒いエネルギーを表現したい」

 当時の美意識を突き詰めるため、調律にも厳密を期す。「ベルサイユ・ピッチ」と言われる音高で、現在の音に比べ、まるまる1音くらい低くきこえる。「古楽界を元気にしたくていろんなことに挑戦してきたけど、チェンバロのためだけに人生をささげたいというのが僕の本音。これからは一人のチェンバリストとして生きていく――そんな決意表明になりそうです」

 午後7時開演。オフィスブロウチェク(052・935・9901)。7月11日には、東京文化会館で演奏会「J・S・バッハ以後のチェンバロ協奏曲」も開く。こちらは日本テレマン協会(06・6345・1046)。(吉田純子)

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