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闘病の日々、淡々と記述 「大正天皇実録」第3回公開

2008年6月5日10時36分

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写真大正天皇実録=宮内庁提供写真大演習を統監する大正天皇(写真右、1919年)

 大正天皇の日々の動静を記した文書「大正天皇実録」の3回目の閲覧が4日午前、宮内庁書陵部で始まった。今回公開されたのは、1921(大正10)年7月9日から、陵に葬られた27(昭和2)年2月まで。淡々とした記述の間からは、病に苦しみ続けた天皇の姿が浮かんでくる。

 実録は天皇の動静や、政治や外交上の重要事項などを記したもので、中国がルーツ。「大正天皇実録」は本文85冊、年表4冊、索引7冊、正誤表1冊の計97冊で、37(昭和12)年に完成した。

 朝日新聞記者の情報公開請求をきっかけに、02年に8冊、03年に21冊分を開示。今回の9冊で、即位後の実録については、すべて公開されたことになる。今回、「個人識別情報」の黒塗りは約250カ所。全体の2%に及んだ。

 病気にかかわる記述が興味深い。まず皇太子(後の昭和天皇)が摂政となった21(大正10)年11月25日の記載。

 それまでの天皇の病気の経緯を総覧し、14(大正3)年ごろから軽度の言語障害があったこと、翌15(大正4)年11月ごろから「階段ノ御昇降ニ当リテハ多少側近者ノ幇助(ほうじょ)ヲ要セラレ」と記している。

 この15年11月というのは、京都で天皇の即位大礼が行われた月。「この月、大正天皇はほとんど東京にいなかった。あるいは、即位大礼や行き帰りの駅などで、介助を必要とする何かが起きたのかもしれない」と、明治学院大教授の原武史さん(日本政治思想史)は推測する。

 続いて、16(大正5)年12月の出来事として「御尿中ニ微量ノ糖分顕出アリ」との記述が。そういえば、父の明治天皇も糖尿病だった……。

 さらに、18(大正7)年夏のこととして、「御姿勢時々右側ニ御傾斜アリ、御乗馬ノ際モ御姿勢整ハセ給ハズ」とある。この症状は22(大正11)年の侍従武官日記にもあるが、その数年前から病状が出始めていたことがわかる。

 18年はちょうど大正天皇が観兵式などを欠席し始める時期と重なる。「乗馬時の姿勢保持ができなくなったので、それが必要な観兵式などに出られなくなっていったのだろう」と原さん。

 死後埋葬された、多摩陵(たまのみささぎ)に関する記述も目を引く。この陵は、東京府横山村(現・東京都八王子市)に築かれたのだが、この場所が選ばれた理由はこれまでよくわからなかった。

 「実録」はその理由について、地層が古生層で、地震に際し、「地盤ノ被害著シカラザル」ことをあげる。また、万葉集に詠まれた「多麻の横山」の故地であることなども考慮したとある。

 原さんによれば、「多摩陵は、明治天皇の伏見桃山陵をかなり意識している」という。墳丘の型式などについて記した部分に、「伏見桃山陵」に「依リ」「準ジ」という記述が出てくる。

 原さんは「宮内省省報などには載っていないが、実録を読むと、天皇は23(大正12)年5月ごろまで油壺(神奈川県)などに出かけている。摂政を立てて以降も、この頃までは静養のかたわら、宮城(皇居)や御用邸の近くまで出かけることがあったようだ」と話している。(宮代栄一)

   ◇

 「大正天皇実録」は、所定の手続きをとれば、宮内庁書陵部図書課で、誰でも閲覧することができる。誕生から即位までの時期の部分は、今後、公開の予定。

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