関津遺跡で幅18メートルの道路跡見つかる 大津
2006年10月06日
琵琶湖南側の大津市関津1丁目の関津(せきのつ)遺跡で、奈良時代から平安時代前期(8世紀中頃〜9世紀中頃)にかけての大規模な道路跡が見つかった、と滋賀県教委が5日発表した。道路は幅約18メートルと当時の幹線道路としては広く、南北約250メートルにわたって一直線に延びていた。県教委は、近江から平城京や恭仁(くに)京へ物資を運んだ主要道の「田原道(たわらみち)」だったとみている。
 道路の両脇にある側溝跡(点線部分)。道路幅は約18メートルある=大津市関津1丁目で、本社ヘリから
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県教委によると、これまでに各地で見つかった「東山道(とうさんどう)」など官道(当時の国道)とみられる道路跡は幅9〜15メートルが一般的で、3メートル以上広いという。道路跡の両脇に側溝(幅1〜3メートル、深さ0・1〜0・3メートル)がある。
田原道は、近江と平城京を結ぶ最短ルート。続日本紀(797年完成)に、藤原仲麻呂の乱(764年)で、追討軍が近江に先回りしたとき通った道として記述されている。また、同遺跡が近江の政治をつかさどった近江国庁の南約4・5キロにあることから、県教委は、近江国の南の玄関口としての威厳を示すため、近江国庁の「南北大路」として整備された可能性もあるという。
道路跡沿いから、整然と並んだ約60棟の建物跡や、8基の井戸跡が見つかり、一般集落であまり見られない墨書土器や硯(すずり)も出土。県教委は「公的施設(官衙(かんが))や寺院などがあった可能性が高い」としている。
同遺跡の近くには、東大寺などの建築材を切り出したとされる田上山(たなかみやま)があり、正倉院文書には建築材の輸送を管理した「田上山作所(たなかみさんさくしょ)」の記述もある。
滋賀県立大学の林博通教授(考古学)は「道の大きさから、当時、生産・物流・交通の拠点だったことは明らかだ」と話している。
現地説明会は7日午後1時から。雨天決行。問い合わせは滋賀県文化財保護協会(077・548・9780)へ。
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