弥次喜多道中の裏話も 十返舎一九の手紙見つかる
2006年12月06日
弥次喜多道中で知られる江戸後期の滑稽(こっけい)本「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」の作者、十返舎一九(1765〜1831)の手紙が京都市の古美術店で見つかり、奈良大学(奈良市)の永井一彰教授(近世文学)が4年がかりで解読した。名古屋への取材旅行で世話になった知人への新年のあいさつ状で、知人の名前で詠んだ狂歌を本の挿絵に添えたことをつづるなど、膝栗毛完成の裏話がわかった。
手紙は縦14.5センチ、幅65センチ。一九の絵などとともに屏風(びょうぶ)に張られていたのを後に切り離したらしい。永井教授が02年に見つけ、筆跡や内容から一九の手紙と断定した。
1806(文化3)年の年賀状で、あて先は名古屋に住む友人の医者、神谷剛甫(ごうほ)。年始のあいさつ以外に、剛甫とその仲間9人への追伸がつづられている。
一九は前年冬に名古屋へ取材旅行をし、剛甫らに歓待された。一九は「御代歌(だいか)不出来は、御容捨(ごようしゃ)」とへりくだりつつ、彼らのペンネームで代作した狂歌を「膝栗毛」第5編の挿絵に折り込んだと報告している。
また「ひざくり毛のうちへこんにゃくのたたき石、書き入れ申し候」とも記した。同編には、弥次喜多がこんにゃくをのせる石皿を料理と思い込む失敗談があり、このネタを名古屋取材で仕入れたことがうかがえる。
永井教授は「剛甫らは一九のファンサービスを喜んだろう。一九の手紙はあまり見つかっておらず、面白く貴重な資料だ」と話している。
この記事の関連情報
|
|