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原爆ドーム前、ひと模様1万枚 被爆2世カメラマン

2006年12月15日

 被爆の惨状を今に伝える広島市の原爆ドームと、そこにやってくる人を写真に収め続ける被爆2世のカメラマンが東京にいる。00年から撮り始めたカットは1万枚を超える。祈り、黙祷(もくとう)、叫び。ドーム前のさまざまな「表情」から平和のあり方を考えてもらえたらと昨夏から個展も始め、来年には、もう一つの「グラウンドゼロ(爆心地)」の地・ニューヨークでも開く。この正月もドームに立つつもりだ。

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広島を目指して自転車の旅を続けてきたイタリア人男女。作品を撮り始めたその日の作品=00年1月1日、宮角孝雄さん撮影

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原爆ドーム前で写真を撮り続ける宮角孝雄さん。バックの写真はドーム前でキスをするイタリア人男女=東京都小平市で

 広島県庄原市出身のカメラマン宮角(みやかく)孝雄さん(58)=東京都小平市。祖父と父は被爆者で、疎開のため訪れた広島駅で閃光(せんこう)を浴びた。ガラスの破片などで受けた傷が、亡くなるまで顔に生々しく残っていた。自身は広島県北部の町で育ち、原爆は遠い存在だった。

 50歳を前に、ふと手にした1枚の写真が意識を変えた。中学生だった娘をドーム前で写した93年の写真だった。娘はその後成長したが、背景のドームは月日を経ても変わらない。何かメッセージを発しているように感じ、00年の元日から年に数回通い始めた。

 ヨーロッパから広島を目指して1年半の自転車の旅を続け、達成の喜びを感激のキスで表現したイタリア人男女。1円玉を重ねて作ったドームを手に「原爆は許せん」と叫ぶ被爆者のおばあちゃん。笑顔で黙祷をする修学旅行生――。7年間にカメラを向けた人は1000人以上になる。ともに息子を亡くしたイスラエルとパレスチナの女性が反戦を訴え、握手をする場面にも出あった。それぞれを、ドームとともにモノクロ写真に収めた。

 「どんな思いで来たのだろう」と、途中からアンケートも始めた。米国人の大半はノーコメント。だが、ある米国人は「若い世代は、我々より賢くなり、平和のうちに共存することを学んでいてほしい」と答えた。

 ドイツ人の女性からは逆取材を受けた。「日本の学校では第2次大戦をどう教えているのか」。「あまり多くの時間を割いていない」と答えると「それで原爆を告発できるのか」と批判された。

 昨夏、東京と広島で初の個展を開催。「米国人に別のグラウンドゼロを見てほしい」と、来年9月の予定でニューヨークの画廊の予約も入れた。

 原爆投下から61年がすぎたが、世界から核はいっこうになくならない。「お前らちゃんとしろと、ドームが言っているように感じます」

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