大王の石室支えた基盤発見 大阪・高槻の今城塚古墳
2007年03月01日
「真の継体(けいたい)天皇陵」とされる大阪府高槻市の前方後円墳・今城塚古墳(6世紀前半、全長約190メートル)で、横穴式石室の基盤とみられる大規模な石組み遺構が見つかったと、同市教委が1日、発表した。石室は失われていたが、古墳は完成時に3段、高さは18メートル前後だったと推定される。これだけの規模は大王(天皇)墓以外に考えられず、同古墳が継体天皇墓であることがより確実になったとしている。天皇陵級の古墳で石室の基礎など、墳丘の内部構造が確認されたのは初めて。
 石室の基盤とみられる石組み=1日午後、大阪府高槻市で
|
 今城塚古墳の推定図
|
 今城塚古墳の地図
|
見つかった石組みは、地滑りなどで落ち込んだ状態で、後円部北側から出土した。基盤の一部で、1596年の慶長伏見地震の際、崩れたらしい。東西17.7メートル、南北11.2メートルのコの字形に方形の石が3段積まれていた。
こうした構造、規模から「基盤の上に横穴式石室があったことは確実」と同市教委。古墳の後円部頂上(高さ約11メートル)のさらに上に石室があり、築造当時は3段だったとみられる。
仁徳天皇陵(堺市)など5世紀以前の大王墓に一般的だった竪穴式石室に比べ、横穴式石室は巨大な天井石を持つなど重量が大きい。今城塚古墳では石棺の破片が3種類見つかっており、縁者らも含め、石室に三つ以上の石棺が収められると総重量は100トンになると推定される。
日本書紀には、継体天皇は先代に後継ぎがなく、現在の福井県から迎えられたとある。高槻市教委の森田克行・文化財担当参事は「3段の前方後円墳という大王墓の伝統的な形を継承しつつ、横穴式石室という最新技術も採用している。継体天皇は生前から新しい大王としての強大な権力と高い技術力をアピールしたかったのでは」と話している。
現地説明会は4日午前10時〜午後3時。雨天決行。現地に駐車場はなく、JR京都線摂津富田駅から臨時バスを運行する。
〈今城塚古墳〉 01年からの調査では、大王の葬送の儀式を再現した高さ約170センチの国内最大級の家形埴輪(はにわ)、巫女(みこ)や武人などをかたどった埴輪100点以上が出土した。継体天皇陵について宮内庁は、今城塚古墳の南西1.5キロにある大阪府茨木市の太田茶臼山古墳を指定しているが、研究者らの立ち入りを許可していない。一方、10世紀の「延喜式」の記述などから研究者らは今城塚古墳こそ真の継体天皇陵だと推定。発掘調査を続けている。
この記事の関連情報
|