現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 古代史の舞台、山田道の遺構発見 奈良・明日香村2007年06月05日19時21分 奈良県明日香村の石神(いしがみ)遺跡(飛鳥時代)で、飛鳥の都の玄関口だった7世紀半ばの「山田道(やまだみち)」を確認した、と奈良文化財研究所が5日、発表した。壬申(じんしん)の乱(672年)に勝利した大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)が凱旋(がいせん)した時に通ったとされるなど古代史の舞台に再三登場する道で、古代の幹線道路網解明につながる貴重な材料となる。 山田道は、大和王権の宮殿があった磐余(いわれ)(同県桜井市)と飛鳥を結んだ約8キロの、いわば古代の国道。日本書紀に、中国・隋の使者が608年に通ったとみられる記述があるなど、外国使節を迎えるルートだったともされるが、造られた時期や規模など実態は不明で、「幻の道」と言われてきた。 今年3月、石神遺跡で東西方向に延びる天武天皇の時代(7世紀後半)と藤原宮期(694〜710年)の道路の溝(長さ33メートル、幅1.3〜3.3メートル)の遺構が初出土。その後さらに下層を調べたところ、より古い7世紀半ばの東西方向の溝(長さ26メートル、幅1.3〜1.8メートル)が新たに見つかった。山田道の南側溝とみられ、石組みの跡があった。 付近は湿地が埋め立てられており、溝わきの路面の下層には、東西14メートル、南北7メートルにわたって葉のついたシイやサカキなどの枝が敷き詰められていた。渡来系の土木技術「敷葉(しきは)工法」とみられ、水はけの悪い地盤を強化したらしい。 PR情報この記事の関連情報 |