現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 十条大路を発見 平城京、定説より大きかったこと確実に2007年06月13日23時05分 奈良県大和郡山市の下三橋(しもみつはし)遺跡で、奈良時代の首都・平城京(710〜784)の十条大路跡(8世紀初め)が出土した。同市教委と元興寺文化財研究所が13日、発表した。従来、京の南端とされていた九条大路の南では道路跡が数カ所見つかっており、十条大路の存在が確実視されていたが、大路遺構の確認は初めて。
スーパー建設に先立ち、約3400平方メートルを発掘。2本の側溝(幅1.5〜2メートル、深さ約40センチ)を伴う東西道路(幅15.75メートル)を長さ9.5メートル分見つけた。出土場所は九条大路の南約530メートルで、碁盤目状に土地を区画する「条坊制」の復元案では、十条大路の推定地だった。 周辺の調査では8世紀前半の土器だけが見つかっており、九条大路から十条大路にかけての地域は遷都から約20年で廃絶されたとみられる。 平城京の南約20キロに造成された日本初の都城・藤原京(694〜710)は、東西十坊・南北十条(約5.3キロ四方)の設計案が有力。平城京は従来東西八坊(約4.3キロ)・南北九条(約4.8キロ)とされてきたが、今回の発見で南北規模については藤原京の設計を踏襲したという見方が出ている。 下三橋遺跡では05年、九条大路より南側で、条坊制道路や羅城(城壁)跡がみつかっている。今のところ出土は左京(京の東半分)だけにとどまっている。 現地説明会は16日午前10時から正午まで。現場はJR郡山駅の東約1.5キロで、小雨決行。 PR情報この記事の関連情報 |