現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 秀吉「太閤堤」の遺構出土 京都・宇治市の宇治川沿い2007年09月05日22時03分 豊臣秀吉(1536〜98)が京都の宇治川に築いた石積みの堤防「太閤堤(たいこうづつみ)」の一部が、京都府宇治市●道(とどう、「●」は「くさかんむり」に「兎」)丸山の「乙方(おつかた)遺跡」で見つかり、同市歴史資料館が5日、発表した。1592(文禄1)年の伏見城築城に伴い大坂との交通を確保したものとみられ、秀吉晩年の大工事の姿をうかがわせる貴重な遺構。同館は「石を使った護岸は、1級河川に本格的治水工事を施す現在の土木技術の原点」と評価する。
マンション建設に先立ち、宇治川右岸の●道稚郎皇子(うじのわきいらつこ)御墓近くにある弥生時代の集落遺跡である同遺跡約1300平方メートルを発掘。その結果、幅5.5メートル、高さ2.2メートルの堤が南北に75メートル続いていた。川縁の斜面と岸に、近くの山で採れた粘板岩の板石(幅、長さとも30〜50センチ、厚さ約4〜10センチ)を並べ、松材のくいで強化していた。 板石は砂交じりの岸に直接張り付けるように並べてあり、見た目も重視した「化粧」らしい。秀吉が宇治川つけ替えの際に造ったとみられ、舟運の利用で伏見城下に人と物資を集め、にぎわいを高めようとしたようだ。 河川の治水は戦国時代ごろから本格化するが、当初の姿を残す遺跡はほとんどなく、紀の川右岸の窪(くぼ)・萩原遺跡(和歌山県かつらぎ町)と、1979年に今回の対岸で出土した秀吉の「槙島(まきしま)堤(づつみ)」がある程度。 山梨文化財研究所の畑大介・保存修復研究室長(中世考古学)は「戦国時代からは流路を変える大規模工事が各地であったが、工法がほとんど解明されておらず、貴重な発見だ」と話している。 現地説明会は8日午前10時〜午後3時、京阪電鉄三室戸駅から徒歩3分。 PR情報この記事の関連情報 |