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龍馬談判の町家修復、宮崎駿監督がイメージ図 広島

2007年11月25日23時28分

 坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と紀州藩の軍艦が衝突した海難事故の際に、談判が繰り広げられた広島県福山市鞆(とも)町の江戸時代の町家が、アニメ映画の宮崎駿監督のスケッチを基に地元NPOによって修復され、龍馬の誕生日の15日から一般公開されている。町家は宮崎監督が新たに命名した「御舟宿(おふなやど)いろは」の屋号で来春から旅館に生まれ変わる。

 町役人の住居だった「旧魚屋萬蔵(うおやまんぞう)宅」と呼ばれる木造2階建て延べ約330平方メートル。1700年代後半の建造とされる。1867(慶応3)年、「いろは丸」は、紀州藩の「明光丸」と岡山沖で衝突。明光丸に曳航(えいこう)されて鞆町へ向かう途中に沈没した。龍馬は旧魚屋萬蔵宅などで紀州藩側と談判した。互いに航海日誌を基に交渉するなど近代海難審判の先駆けといわれる。

 町家は01年まで呉服店として使われたが、老朽化で傷みが激しかったため、地元NPO「鞆まちづくり工房」(松居秀子代表)が03年に所有者から約1000万円で購入。国内外から数千万円の寄付金を募って修復事業に着手した。

 その後、宮崎監督が05年春に鞆町に休暇で滞在中に町家を見学。修復後のイメージ図をペンや水彩で描いたスケッチ約20枚を贈った。

 修復作業は3年がかりで完成。「新しい物好きだった龍馬の性格ならではの雰囲気に」という宮崎監督の発案で、伝統的な町家の窓の一部にドイツ製の赤や黄、緑などの色ガラス6枚がはめられた。

 見学できる日などの問い合わせは鞆まちづくり工房(084・982・0535)へ。

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