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3世紀の銅鐸リサイクル工房跡か 奈良県桜井市で出土

2007年12月07日00時00分

 奈良県桜井市の脇本遺跡で、古墳時代初め(3世紀初頭)の銅鐸(どうたく)の破片や、銅鐸とは違う鋳型などがまとまって出土した。県立橿原考古学研究所が6日、発表した。銅鐸を別の青銅器製品に仕立てたリサイクル工房が近くにあったとみられる。こうした工房跡は全国でも例がなく、3世紀にこつぜんと姿を消すなど、謎に満ちた銅鐸の時代の終わりを示す重要な物証となりそうだ。

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脇本遺跡で見つかった銅鐸片

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脇本遺跡で見つかった銅鐸の破片(指でつまんでいる部分)。完形なら約1メートルの大きさだったとみられる

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脇本遺跡から見つかった銅鐸の破片(左)と、別の青銅器を作ったとみられる土製の鋳型外枠

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銅鐸の破片が見つかった竪穴式住居跡。研究所員の手のあたりから出土した=奈良県桜井市の脇本遺跡で

 国道拡幅に先立ち約650平方メートルを調査。竪穴式住居跡(直径約8メートル、深さ約40センチ)から、最大約4センチ角の銅鐸片3点や土製鋳型の外枠(約10センチ角)、銅滓(どうさい)(銅のかす)などが見つかった。

 銅鐸は紀元前3世紀ごろから祭器としてつくられ、近畿から各地に広まった。古墳時代の到来で廃れたが、どう姿を消したかは具体的にわかっていなかった。

 同時に出土した土器から、工房は約10〜20年で消えた可能性が高く、脇本遺跡の北西約4キロにあり、邪馬台国の有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(同市)の出現期に重なる。

 寺沢薫・調査研究部長(考古学)は「大和王権が銅鐸を集め、纒向の都市計画が始まる一時期だけ、銅鐸片を溶かし、鏡や鏃(やじり)などの青銅器に作り替えたのではないか」と話す。現地説明会は実施しない。

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