現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 「銅鐸リサイクル」の跡、国内2例目 奈良で破片や鋳型2008年04月30日20時08分 奈良県桜井市の大福(だいふく)遺跡で、弥生時代末から古墳時代初め(2世紀後半〜3世紀初め)の土坑から、銅鐸(どうたく)の破片や、銅鐸とは別の鋳型などが見つかった。同市教委が30日発表した。銅鐸を溶かして別の青銅器を製造した「リサイクル」の工房跡が、近くにあったとみられる。同市内では、東に約4キロ離れた脇本遺跡でも同様の工房跡が見つかっており、今回で2例目。専門家は「この時代に弥生の神々を祭った銅鐸を壊すという、大きな思想の転換があったことが裏付けられた」としている。
市道建設に先立ち約1800平方メートルを調査。同遺跡では、弥生時代から飛鳥時代の溝や方形周溝墓などが出土。溝の跡に掘られた土坑(長さ5メートル、幅3メートル、深さ80センチ)から、銅鐸片(縦6センチ、横4.5センチ、厚さ2ミリ)1点▽銅鐸とは異なる鋳型の外枠(縦3.5センチ、横4.5センチ、厚さ9ミリ)1点▽送風管の一部(長さ19センチ)などが見つかった。 銅鐸片は形状から、土坑が造られた時期よりも数十年古い、弥生時代後期の銅鐸の一部とみられる。銅鐸は非常に硬く通常は割れにくいことから、意図的に破壊された可能性がある。そばの井戸状遺構からも別の鋳型の外枠(縦5.5センチ、横4.5センチ、厚さ8ミリ)1点が出土した。 銅鐸は紀元前3世紀ごろ打楽器として登場し、その後、祭器へと性格を変えたが、3世紀ごろにこつぜんと姿を消した。理由ははっきりしていなかったが、昨年12月、脇本遺跡で銅鐸の破片や、銅鐸と別の鋳型などが出土。全国でも確認例がない「リサイクル」の跡とみられた。 大福遺跡は、邪馬台国の有力候補地とされる都市、纒向(まき・むく)遺跡(同市)の南2キロにある。同市教委文化財課の丹羽恵二技師は「いずれも纒向の出現期と重なり、当時の先進的な地域の誕生に何らかの影響を受けていた可能性が高いのでは」と話している。 現地は埋め戻されているが、出土遺物は同市立埋蔵文化財センターで1〜9日に展示される。 PR情報この記事の関連情報文化・芸能
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