56年、日ソ交渉の現場を見る ロシア外務省迎賓館
2006年10月21日
日ソ共同宣言で両国が国交を回復した56年10月のモスクワ交渉から半世紀、当時の鳩山一郎首相ら日本政府代表団が泊まり、交渉の拠点にしたロシア外務省迎賓館を訪れた。ふだんは非公開だが、特別な許可を得て入った豪華な館内は数奇な歴史のドラマにも彩られていた。
 1956年の日ソ交渉で使われたロシア外務省迎賓館の赤い部屋
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迎賓館は大使館の多い閑静なスピリドノフカ通りにある。56年の交渉では鳩山首相のほか河野一郎農相ら代表団幹部が泊まった。随行した首相秘書官の若宮小太郎氏は「宮廷風の部屋と調度、王侯貴族のようだ」と日記に書いている。
白い大きな暖炉のある食堂では、鳩山首相がフルシチョフ共産党第1書記らを招いて昼餐会(ちゅうさんかい)を開き、「日本酒を出して」(若宮氏の日記)もてなした。この日の交渉で両国は平和条約締結後の歯舞、色丹2島の引き渡しで基本合意した。
ロシアのモダン様式建築の草分けでもある建物の完成は1898年。繊維業を手広く営み、革命運動や芸術家らのパトロンだった豪商サッバ・モロゾフが妻の邸宅用に建て、ロシア革命後に内戦で生まれた孤児の寄宿舎に使った後、1929年に外務省施設となった。
モロゾフの妻の希望で壁や調度類を赤で統一した部屋は少人数の交渉に、大理石づくりの白い大広間は外交団の全体会合に使っている。壁に隠された二つを含め出入り口が五つある部屋もあり、保安上の利点から独ソ戦のあいだモロトフ外相が執務室に使った。
ただし迎賓館のアレクサンドル・パツェフ館長によると、外交団の宿泊に使われたのは50年代などの一時期。鳩山首相らの宿泊は、旧ユーゴスラビアのチトー大統領らと共に珍しい部類に入る。
独裁者スターリンも迎賓館を十数回訪れたが、その度に壁全体を塗り直したため、塗り跡が厚い層をなしている。
さらに迎賓館の庭に接して高層アパートが立っており、一つの階の窓だけが異様に大きい。パツェフ館長によると、ブレジネフ共産党書記長が迎賓館の庭の眺めを楽しむため、特別につくらせた。同書記長は結局、そこに住まなかったものの、ソ連の権力者の振る舞いを後世に物語る光景となっている。
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