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空襲から62年、フレスコ画再び イタリア

2006年11月18日

 第2次世界大戦中に空襲で破壊された北部イタリアの教会のフレスコ画が、62年たってよみがえった。「平和な時代が来たら修復を」と、がれきの中から地元住民たちが拾い集めた破片は8万個以上。完成不可能なジグソーパズルのようにみえた修復作業は、最新のコンピューター技術を駆使して少しずつ進められた。まだ穴だらけで痛々しい壁画からは、平和と芸術に対する人々の強い思いが伝わってくる。

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オベターリ礼拝堂によみがえったフレスコ画。住民が集めた8万個以上の破片のうち、約8千個が下絵にあてはめられた=イタリア北部パドバのエレミターニ教会で、大友良行氏撮影

 パドバ市街地が英米軍による空襲を受けたのは、1944年3月11日。中央駅を狙ったとみられる爆弾が近くのエレミターニ教会に落ち、内部にあるオベターリ礼拝堂などが破壊された。礼拝堂には、パドバ出身でルネサンス期を代表する画家アンドレア・マンテーニャ(1431〜1506)らによるフレスコ画が描かれていた。

 当時、教会近くに住んでいたアベ・ファレス・マゼットさん(85)は「昼ごろに空襲警報が鳴り、防空壕(ごう)へ避難して間もなく激しい揺れがあった。外へ出たら、近所の人たちが『教会がやられた』と騒いでいた」と振り返る。教会へ駆けつけ、がれきの山へ上ったら「天使の頭部が描かれた破片があって、思わず手に取った。天使は美しく、とても悲しかった」という。

 マゼットさん以外にも空襲直後から多数の住民が教会へ集まり、バラバラになったフレスコ画を集めた。何万もの破片を113個の箱に詰め「平和で経済的に余裕のある時代になったら修復して」と、ローマの国立中央修復研究所へ送付した。

 フレスコ画は殉教へ向かう聖ヤコブや、聖クリストフォロスなどを描いたもの。もともと2枚組みずつ上下3段の計6枚で構成されていた。このうち、下段の2枚は戦前に外されて保管されており、爆撃を免れた。上段左側は破損が少なく、戦後数年で修復が完成。しかし、破損が著しい上段右側と中段左右の計3枚の破片はパドバ市民美術館へ送り返され、手つかずの状態となっていた。

 90年代後半、マンテーニャの専門家が計8万735個ある破片を写真に撮影。パドバ大教授らがコンピューターの修復プログラムを作成し、地元銀行が資金を提供、01年から本格的な修復計画が始まった。

 計画の責任者で建築家のクラウディオ・レベスキーニさんによると、20年代に撮られた白黒写真をもとにカラーの合成写真を作成。「巨大なジグソーパズルのように破片を当てはめていった」という。礼拝堂全体の修復でかかった費用は約75万ユーロ(約1億1400万円)。下絵に約8000個の破片がはまった今年9月、マンテーニャの没後500年記念として公開された。

 空襲から62年たって礼拝堂によみがえったフレスコ画は、まだ穴だらけで痛々しい。それでも、地元の人々は「平和と再生の象徴なのだ」と強調した。

 残りの破片をはめる修復作業は今後も続く。「何年かかるかわからない」という。

 マゼットさんは「教会と芸術への愛着や、いつか平和な時代が来るという信念、あせらず待とうという忍耐が修復を可能にしたのだと思う。イタリア人としての誇りを感じる」と胸を張った。

 〈フレスコ画〉 西洋絵画の技法の一つ。「フレスコ」はイタリア語で「新鮮」を意味する。壁などの下地にしっくいを塗り、乾ききらないうちに水に溶かした顔料で描く。壁が乾くとともに顔料がしっかり定着する。ルネサンス期に盛んに描かれ、ミケランジェロやラファエロの作品が有名。

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