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「球体写真二元論 細江英公の世界」展 開催中 東京

2006年12月14日

 写真の歴史は事実を記録することと、写真家が自己を表現することの両極を揺れてきた。その矛盾を自覚的に抱え込み、創造へ転化してきた一人が細江英公(1933年生まれ)だ。

 東京・恵比寿の東京都写真美術館で開催中の「球体写真二元論 細江英公の世界」展では、主要な写真集ごとに、約200点で軌跡を検証している。

 展覧会名の「球体写真二元論」は、今春出版された著作名にもなっている、細江独自の仮説だ。写真の表現世界を地球に見立て、「客観」としての記録性を北極、「主観」としての表現性を南極として、その間の広々とした地表に写真の多様な可能性を見いだそうというのだ。

 自作に当てはめれば、男女の裸体で性を追求した『おとこと女』は表現性の強い南極寄りで、舞踏家土方巽の活動をその葬儀までとらえた『土方巽舞踏大鑑 かさぶたとキャラメル』は、記録性もある北極寄りか。

 ゴムホースで三島由紀夫の鍛錬された肉体を縛り上げるなどした『薔薇(ばら)刑』や、日本の原風景である農村で土方を疾駆・跳躍させるなどした『鎌鼬(かまいたち)』は、中間の赤道付近だろう。

 だが今展は、細江の二元論に、もう一つの仮説を重ねようとしているようだ。

 例えば写真絵本。『たかちゃんとぼく』では、犬と少女との冒険に、低い視線で寄り添う。

 近作の写真集『胡蝶(こちょう)の夢 舞踏家・大野一雄』では、ベッドに横たわる今年100歳を迎えた舞踏家の腹の上に、無垢(むく)な笑顔をたたえた1カ月半の曽孫を乗せた場面(05年)をはさみこむ。

 性や「生と死」を主題に、グロテスクな美意識や土着的な情念といった側面が注目されてきた細江の写真世界。その中に、背反するかのような、傷つきやすいものへのナイーブともいえる視線が確かに存在する。

 球体写真二元論に重なるもう一つの二元論。走り続ける写真家と併走して、その作品読解も深まっていく。

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