現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 「日本文学、洗練された」 新刊刊行の丸谷才一さん語る2007年01月09日17時06分 作家丸谷才一さん(81)の最新エッセイ集『双六で東海道』(文芸春秋)。題名の由来となった句「東海道のこらず梅になりにけり」を、「趣向があって、景気がよくて」とほめている。文学は読む人を元気づける祝祭のようなものという丸谷さんに、最近の文学的収穫などについて聞いた。
文化功労者に昨年決まったとき、喜びとともに、「おれも年をとったな」と感じたという。だが、関心の幅の広さと博識、批評性はかわらない。その丸谷さんが、今の文学の動きで評価しているのは、モダンクラシックスの改訳だ。 若島正訳『ロリータ』、村上春樹訳『グレート・ギャツビー』などを、代表としてあげた。「日本人の小説の読み方や小説観が変わってきた」ことの現れだという。 「『ロリータ』は、僕の06年の収穫のひとつ。ていねいに訳されていて、文学の味わい方が繊細になった。昔は単なるエロ小説と思われていたんだから。そんな読み方はおかしいという考えが熟してきて、訳し直された面がある」 『グレート・ギャツビー』についても「昔の日本人はフィッツジェラルドよりも、ヘミングウェイが好きだった。『誰がために鐘は鳴る』なんて、ああいう粗雑な男らしさや勇ましさをばかげていると、認識するようになった」。 背景には、日本文学の側で、文章が繊細になってきていることがあるという。 「たとえば、川上弘美さん、高樹のぶ子さん、江國香織さん。言葉の使い方がきゃしゃで、みずみずしい。いわゆる第一次戦後派の文学は、イデオロギー偏重で、作品の地肌が、西欧のモダニズム小説に学ぶことは薄かった。それが、村上春樹、池澤夏樹の登場のころから変化してきた。ふたりとも語学ができるし、文学的感受性がいいせいで、直接に西欧のモダニズム小説に学ぶことができた」 そういう文学風土の変化が、西欧のモダニズム小説の改訳に及んだと、丸谷さんはとらえる。 三浦雅士さん、鹿島茂さんとの鼎談(ていだん)『文学全集を立ちあげる』(文芸春秋)では、従来の文学観を斬(き)って捨てた。とくに、自然主義的な私小説嫌いは徹底している。 「あれは、宗教的な告白と文学をごっちゃにする態度だった。でも、この10年ぐらいで誰もさわがなくなったでしょう。文学的に趣味がよくなったから」 とはいえ、最近の悪(あ)しき傾向もある。 「売れる売れないばかり言わないで、もっと作品のいい悪い、の話をしてほしい。テレビの視聴率談義の影響かね。石川淳だって自ら3000部の作家と称していたけれど、それでもいいじゃないの」 この欄に毎月連載の「袖のボタン」では、映画、歌舞伎、音楽など、幅広くとりあげている。 「12月の東京歌舞伎座の海老蔵の『紅葉狩』はよかったな。僕は感心したものは吹聴する。それが僕の所属している文明を生き生きとさせ、華やかにすることだと思います」 ところで、ご自身の次の小説は? 「三つぐらい中編小説の構想があって、あれこれ考えて楽しんでいます」 PR情報 |