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17世紀の日本人殉教者188人が聖人に次ぐ「福者」に

2007年03月03日

 在バチカンの外交筋によると、法王庁列聖省の枢機卿会議はこのほど17世紀前半の日本人188人の殉教者を「福者」とすることを了承した。最終的には4月の復活祭の前後にローマ法王ベネディクト16世が裁可を下し、正式決定すると見られる。カトリックでは福者は聖人に次ぐ尊崇の対象。188人は激烈なキリシタン弾圧が行われた江戸時代初期の全国の殉教者で、一般信徒がほとんど。女性や子供も多い。

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司祭として布教に歩く中浦ジュリアンの像=長崎県島原市で

 枢機卿会議は法王裁可までの最後の関門で、2月6日に開かれた。

 188人は日本カトリック司教協議会が81年の前法王ヨハネ・パウロ2世の長崎訪問を機に全国の16教区で調査を始め、96年法王庁に申請した。一般信徒の史料を集めるのに時間を要した上、バチカンでは極めて慎重に審査が行われるため、実現までに四半世紀かかることになった。

 日本では1862年と1987年に計42人が聖人に、1867年に205人が福者とされているが、日本で殉教した外国人司祭のほか、圧倒的に男性の指導的な信徒が多かった。今回の188人中司祭は4人だけで、女性が3分の1を占める。

 いずれも1603〜1639年と江戸幕府成立から鎖国体制の確立に至る時期の信徒で、殉教の地もさまざまだ。

 最も多い山形県米沢市の53人と京都市の52人はそれぞれ同じ日にいっせいに処刑され、一家で殉教したケースがほとんど。

 リストには、天正遣欧使節の一人として法王グレゴリオ13世に謁見(えっけん)した中浦ジュリアン(1568ごろ〜1633)や、ローマへ渡ってイエズス会の司祭となった後に日本に帰国し、江戸で拷問死したペトロ岐部(1587〜1639)が含まれている。ペトロの生涯は遠藤周作が小説「銃と十字架」で取り上げた。

 福者には殉教者のほか、信仰生活の模範を示したとされる信者らも「奇跡を起こした証明」があれば選ばれる。インドのコルカタ(カルカッタ)で貧しい人の救済に尽くしたマザー・テレサも死後、列福された。

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