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日本仏教の源流たどる 「慈覚大師円仁とその名宝」展

2007年05月22日11時00分

 最澄、空海の陰に隠れた存在ながら、後世への影響は引けを取らない――。そんな存在だった、平安時代の天台僧・円仁の生涯と教えをたどる「慈覚大師円仁とその名宝」展が、宇都宮市の栃木県立博物館で開かれている(6月3日まで、月曜休館)。平安・鎌倉期の仏教美術を中心に仏像や経典など国宝と重要文化財だけでも約100点。日本仏教の源流を目にすることが出来る。

写真手前は国宝・普賢菩薩騎象像。国宝だけで約30点が展示されている=栃木県立博物館で

 「法然上人絵伝」は京都・知恩院所蔵の国宝。浄土宗の開祖の絵巻がなぜ、と思うが、実は臨終の場面で、法然は敬慕する円仁の衣をまとっていたという。円仁は日本における念仏の始祖でもある。

 師・最澄が天台宗を開いた2年後の808年、15歳の円仁は比叡山を目指し郷里の栃木を旅立った。それから1200年を迎えるのを記念した企画だ。

 天台宗は法華経を中心としていたが、空海が中国から密教をもたらすと、苦境に立つ。延暦寺から出品された国宝「天台法華宗年分縁起」は最澄が記した寺の動向で、比叡山を下りた弟子の多いことを示す。

 国宝の「入唐求法巡礼行記」も展示されている。遣唐使として中国を旅した10年におよぶ円仁の日記で、英訳したライシャワー博士は玄奘三蔵、マルコ・ポーロと並ぶ「世界の三大旅行記」と評した。

 旅立つ円仁はすでに45歳。教義上の疑問を解消する役割を担っていた。真言密教に対抗し、天台宗も密教を取り入れたが、そのために無理が生じていたという。ライバル出現で経営が安定しない新興企業が、生き残りのヒントを海外に求めたようなものか。

 中国の旅が苦難の連続だったことも展示はよく伝える。そのなかで念仏とも巡り合った。持ち帰った経典の半分以上は密教のものだった。法華経、念仏、密教を統合し比叡山が日本仏教の母山へと発展する原点に円仁がいることがわかる。

 円仁は信仰の対象でもある。ゆかりの寺は全国に約700。下北の恐山、平泉の中尊寺、山形の立石寺、松島の瑞巌寺などが知られ「東北のお大師さん」とも呼ばれる。そうした寺に伝わる肖像も多数出品されているが、いずれも温和な表情が印象的。弘法大師とは違う、もう一つの大師信仰が庶民の間に根付いていたことを物語っている。

 ◆6月16日から宮城県多賀城市・東北歴史博物館、8月11日から大津市・滋賀県立近代美術館に巡回。

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