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「新潟産ヒスイ」地元の石だった 交易史の書き換えも必要?

2007年06月06日14時14分

 今まで研究者が「新潟産のヒスイでできている」と報告してきた九州の縄文時代後期の首飾りを分析したところ、ほとんどが地元産の石だった――。新潟産のヒスイの分布から語られてきた、交易史の書き換えにさえつながりかねない「再発見」。その背景には、考古学への新しい分析技術の導入がある。

地図  
写真鹿児島県上加世田遺跡出土の玉類

 この研究成果をまとめたのは、熊本大埋蔵文化財調査室助教の大坪志子(ゆきこ)さんを中心とする研究グループ。

 縄文時代の装身具の研究を専門とする大坪さんは、もともと約4千年前の縄文後期―晩期に、九州地方で盛んに使われた緑色の石材に興味を持っていた。

 「この石については以前、京都大の藁科(わらしな)哲男さんが数遺跡の出土品を分析し、ヒスイではないこと、南九州にその産地があると考えられることなどを指摘していました」と大坪さん。「でも、資料を見ていくうちに、ほかにも同じような石が相当数あるのに気づいた。それで、一から石材の分析を始めたんです」

 九州全域を回って、これまでの出土資料約900点を借り、06年から福岡市埋蔵文化財センター、北九州市立自然史・歴史博物館、九州大の協力を得て、蛍光X線分析装置などを使った分析を進めた。

 その結果、従来「(新潟県糸魚川の)ヒスイ」「蛇紋岩」などと報告されてきた緑色の石材の7割がクロムを大量に含む白雲母(含クロム白雲母片岩)であることを確認したという。

 「製作遺跡の分布などから、南九州ではなく、おそらく中九州の熊本県南部あたりで採取された可能性が高い」と大坪さんはみる。

 石材の大半が地元の石で、かつ九州内での地産地消――。となれば、これまで研究者が想定していた、縄文後―晩期における、本州・糸魚川から九州へのヒスイ交易、などの歴史像は大きく変更を迫られる。

 それどころか、この九州産の石製品が本州へ“輸出”されていることもわかってきた。大坪さんによれば、島根県、石川県、新潟県などの縄文後―晩期の十数遺跡で、九州に特有な形の含クロム白雲母の小玉が出土しているという。

 「理由はわかりませんが、九州で作られた装身具が中国地方から北陸地方にまでもたらされていたことは確かだと思います」

 それにしても、なぜこのような事実誤認が起きたのか。

 最大の原因は、多くの考古学者が科学分析をしないまま、報告書に推測で「ヒスイ」「蛇紋岩」等の記載を行ってきたことだ。

 鉱物学が専門ではない発掘担当者が石材を見分けるのは、かなり難しい。ある関係者は「でも、報告書は出さないといけないし、『緑の石』とは書けない。そんなこともあって、考古学では経験に基づく記載が慣用的に行われてきたのではないか」と話している。

遺物壊さず分析 X線装置が普及

 大坪さんの研究に使われた蛍光X線分析装置は、美術品や出土遺物を壊さずに分析したい時に威力を発揮している。以前は限られた研究機関にしかなかったが、00年代から各地の埋蔵文化財センターなどに導入され、現在では広く考古学の世界でも使われている。

 たとえば、奈良県飛鳥池遺跡から出土した、日本最古の貨幣といわれる「富本銭」。この装置を使い、奈良文化財研究所で分析したところ、銅・鉛・スズの青銅製ではなく、鉛とスズのかわりにアンチモンを使った「銅・アンチモン合金」であることがわかった。7世紀後半〜8世紀にかけての短い期間、富本銭と一部の鏡などにのみ用いられたらしい。

 また、福岡市の埋蔵文化財センターで、ぼろぼろになった同市出土の古墳時代の耳飾りを分析したところ、これまであまり知られていなかったスズや鉛で作られたものであることが判明した。

 「全体が緑青で覆われていても、青銅の場合もあれば、真鍮(しんちゅう)の場合もある。見た目での即断は禁物です」と同センター文化財主事(考古学・保存科学)の比佐陽一郎さん。

 奈良文化財研究所上席研究員(歴史材料科学)の村上隆さんは「富本銭に限らず、遺物の材質が歴史を解き明かすカギになることは多い」と指摘する。

 「ただ、蛍光X線分析は一見簡単に見えるが、遺物の表面しか測定できないため、材質を正確に見極めるのは難しい面がある。断面観察など、他の方法を併用することが重要になるだろう」と話している。

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