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模倣、どこまで許される ドラえもん「最終話」

2007年06月09日11時55分

 人気漫画「ドラえもん」の「最終話」と称する物語が無断で漫画化、出版された一件は「作者」の男性が小学館と藤子プロに謝罪し同プロに売上金の一部を支払うことで決着をみたが、課題も投げかけた。模倣やオマージュ作品がどこまで許されるか、という点だ。

写真男性が無断で出版していた「ドラえもん」の「最終話」

 「最終話」は約1万3000部も販売したことで著作権者側が見過ごせない「一線」を越える結果になったが、一方で、本物と間違いかねないほどの出来ばえでも「一線」を越えていた。

 読んだ人の中には、原作品への敬意や愛を感じた人も少なくなかったようだ。プロの漫画家からも「絵だけではなく、テーマや展開も藤子・F・不二雄さんの思想を受け継いでいる」という声が出ているほど。もし出来が悪ければこれほど売れることもなかったかもしれない。

 好きな漫画作品をそっくりに描いてみたい気持ちは誰にでもある。ましてや藤子さんが亡くなったことで未完のままの「ドラえもん」の結末を自分の手で、と思う人が出てきても不思議ではない。

 とはいえ、売るとなると次元が違ってくる。また、今回の「最終話」はコピーされ、ネット上で自由に見られる状態になっていた。小学館の大亀(だいき)哲郎知的財産管理課長は「この点も見過ごせなかった」と話す。その結果、藤子プロと小学館の対応は著作権を盾にした厳しいものとなった。

 だが、今回の対応は例外的というニュアンスも小学館側には感じられる。漫画をめぐっては作者や出版社はこれまで少部数の同人誌レベルでのこうした表現は大目に見てきた。新しい才能は模倣を入り口にして生まれてくるものだが、その芽を摘まないようにという思いもあるようだ。

 藤子プロの伊藤善章社長に「もし『最終話』がこれほど多く売られていなかったら?」と問うと、「う〜ん、難しいですねえ」という答えが返ってきた。

 漫画評論家の村上知彦さんは「今回は、改変作品を売ることの問題意識が描いた側に欠落していた」と指摘する。一方で、著作権者側と非を認めた男性との話し合いで決着をみたことについて「こういう話し合いを積み重ねて、お互いの共通理解をつくっていくのがいい」とも話す。

 今回の騒動は、「最終話」を読んでみたいという読者の願望の強さをあぶり出す形にもなった。村上さんは言う。「今後、読者の願望にこたえる形で著作権者側が自らこうした企画を実現していく可能性もある。一方で、描きたい人のために作品を公募するのも一つの方法ではないか」

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