現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 ゾルゲ事件の新たな調査記録2点、資料集として出版2007年06月28日11時32分 太平洋戦争の開戦を前に日本とドイツの機密情報をソ連に流したゾルゲ事件について、戦後に米国側が行った調査記録2点が発見され、『ゾルゲ事件資料集』(社会評論社)として出版された。暗号の仕組みなどが初めて明らかになり、米国人協力者の存在も浮かび上がった。
同事件に関心を持つ研究者で組織する日露歴史研究センター(白井久也代表)が米国の図書館などで入手し、翻訳を進めてきた。一つは連合国軍総司令部(GHQ)がまとめた「ゾルゲ事件報告書」。日本の警察や検察が保管していた資料を押収して分析、47年に米国の国務省に送ったもの。もう一点は51年に米国下院の非米活動調査委員会が行った聴聞の記録で、ドイツ人新聞記者リヒアルト・ゾルゲを取り調べた日本人検事らの証言が残っていた。米ソ冷戦の本格化を背景に、共産主義スパイ団への対応策を考えるため、ゾルゲたちがどのように情報を入手したかを解明するのが狙いだったようだ。 「報告書」は情報をソ連へと送るための暗号の構造を解説している。日本側は長年傍受しながら解読ができなかった。「非常に単純。有能な通信士にとっては優れた記憶力と(乱数表として使った)統計年鑑一冊さえあれば良かった」と報告書は結論づけていた。
米下院の公聴会では、ゾルゲを調べた検事とGHQの諜報(ちょうほう)機関の部長が証言していた。朝鮮戦争が始まり米国では「赤狩り」の風潮が強まっており、「真珠湾攻撃の計画をゾルゲたちはつかんでいたか」との質問もある。攻撃計画をソ連は知りながら、米国に伝えなかったのではないかとの不信があったようだが、検事は「浮かび上がることはなかった」と語っていた。 スパイ団には米国人の協力者がいたことも明らかになった。モスクワと結ぶ無線通信機は旧満州のハルビンにあった米国領事館に設置されていたことを検事は明らかにしている。「領事館の誰か」との問いには、「名前は覚えていない」と検事は答えていた。 「スパイ・ゾルゲ」を手がけた映画監督の篠田正浩さんは「映画を作るために可能な限りの資料に目を通したが、分からずに心残りだったことが、この本でいくつも明らかになった。米国側の協力者の存在はその一つで、どこかにいるだろうと思っていたが、ハルビンだったとは……本当に驚いた。表面を見ていただけでは分からない歴史のアンダーグラウンドの部分が浮かび上がる」と語った。 500ページを超えるが、解説や脚注、索引も丁寧で読み物としても楽しめる。8190円(税込み)。 PR情報文化・芸能
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