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反戦詩、生んだ家族愛 金子光晴の私家版詩集見つかる

2007年08月17日21時04分

 詩人金子光晴(1895〜1975)が、戦時中に家族3人の作品を集めてつくった手書きの私家版詩集(38編)が見つかった。金子の作品24編のうち8編は改作されて戦後発表されたが、残り16編は「金子光晴全集」(中央公論社)に収録されず、研究者にも知られていない。反戦・抵抗の詩人の家族への愛があふれ出た詩集だ。

写真作品「三点」の冒頭
写真見つかった詩集「三人」

 外箱に「詩集 三人 金子光晴」。B6大、200ページ余に及ぶ厚さ約2センチの帳面に、同一人物とみられる丁寧な文字がインクで記されている。「評伝 金子光晴」の著者、原満三寿(まさじ)さん(66)が先月、古書市で入手した。金子の長男で早稲田大教授だった森乾(けん)(1925〜2000)の妻登子(たかこ)さん(69)は「存在は知らなかったが、金子の自筆に間違いない」と話す。

 金子は44年12月、家族3人で山梨県の山中湖畔に疎開する。金子は公表を期待せずに詩作を続けており、詩集はこのころに編まれたとみられる。「チャコ」と呼ばれた妻の作家森三千代(1901〜77)と「ボコ」といわれた乾の詩もあり、「チャコ作」「ボコ作」などと記されていた。

 疎開中は、家族3人が一カ所に肩を寄せ合って暮らした貴重な時期でもあった。「裏冨士にて」という詩で金子は、「この生きてゐる眼で/ボコをみることのできる/そのよろこびだけで。/そのよろこびを分りあふのは/父とチャコと二人だけだ。」と、3人のきずなの深さを歌った。金子の戦争嫌いは徹底しており、乾の徴兵回避のため松葉をいぶした煙を吸わせて体調を崩させたことはよく知られている。

 48年の詩集「蛾」に収められた「冨士」や「三点」の原作とみられる詩では、のちの「子供/息子」「母」という表記が「ボコ」「チャコ」だった。登子さんは「今回の詩の方が、何としても守り抜くべき家族への愛情が、生々しく出ていると思う」と話す。

 抵抗の意志も随所に表れる。「人よ。なぜ人生を惜しまない。/こまやかな人間の生を、/なぜもっといつくしまない。/夜々、重い爆弾を抱いて/人の街のうへにはこぶのは誰だ。/また、誰のために何をまもるか。/むなしいもののためのさらに/むなしいあらそひよ!」(「裏冨士にて」)と訴えた。

 「金子の反戦姿勢は、強烈な家族愛ゆえだった。今回の詩集はそれを教えている」と原さんは話している。

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