現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 ニコライ宣教師の日記刊行2007年08月19日11時56分 東京・神田のニコライ堂で知られるロシア正教の大主教ニコライ(1836〜1912)が41年間つづった日記が、『宣教師ニコライの全日記』全9巻(教文館)として刊行された。布教や日本社会観察の記録であり、明治を生きたロシア人宗教者の内奥を伝える貴重な資料だ。とりわけ、北海道から九州まで行脚した布教の旅では庶民の姿が生き生きと描かれている。 ◇明治の庶民 克明に描く ニコライは江戸末期の1861年に来日し、72年に日本ハリストス正教会を創建した。日本での活動は半世紀に及ぶ。日記は関東大震災で焼失したとされていたが、ロシア文学者の中村健之介・大妻女子大教授が1979年、サンクトペテルブルクの中央国立歴史古文書館に30冊あるのを見つけた。中村さんを中心に解読・翻訳作業が進み、04年に全日記ロシア語版全5巻が出た。それが今回全訳された。訳者は監修者の中村さんをはじめ故浦上将さんら19人。 ニコライを船頭とし、ニコライと共に生きた日本のたくさんの正教徒たちの乗った「大きな船」――中村さんは日記をこう例える。1870年から1911年まで続く記述を拾い読みするとこの船で明治を旅するような感覚にとらわれる。 栃木では信徒たちが「手に接吻(せっぷん)するということをまだ知らず、その代わりに舐(な)めるのが気持ち悪い」(1881年)。その夜の宿では「窓や戸の隙間(すきま)という隙間から覗(のぞ)き見している連中には閉口だ。まるで檻(おり)の中の舶来の珍獣」。秋田の信徒には「新生児を絞め殺して川に棄(す)てるというむごい風習をなくすように、助力してほしい」と依頼され、「神よ、せめて信徒にはこうしたことをさせないでください」(82年)と祈る。 日記には著名な人物も登場する。例えば漱石の小品「ケーベル先生」で有名な哲学者ケーベルに関する記述が39カ所ある。最初は好意的だが、やがて「宗教的教養がまったくない」(96年)と記し、ケーベルがカトリックに近づくと「まるで娼家(しょうか)に惹(ひ)きつけられる若者」(99年)と断じて「背教者」(04年)と呼ぶ。 また「天皇を改宗させるために取るべき手立てを考えておかねばならない……一つは副島(種臣(たねおみ))をうまく使うこと」(85年)という記述には驚かされる。ドストエフスキーや牧野富太郎、西郷従道(つぐみち)も登場し、人名索引は5000人にのぼる。 異国での寂しさも、「孤独が身にしみる。わたしの大事な、慈しんで育て上げたこども(日本ハリストス正教会)が、わたしの死後どうなるのか案じられてならない」(01年)と、率直につづられている。 日露戦争の時は信徒への迫害に心を痛めながら、捕虜収容所で慰安活動に取り組んだ。日露両国を愛するニコライにとって「悲しみは複雑」(04年)だった。 外国人が見た日露戦争といえば英国の博物学者の日記を解読した伊井春樹『ゴードン・スミスの見た明治の日本』(角川選書)も出た。併読すると興味深い。 分売不可。税込みセット価格9万9750円。 PR情報 |