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宗教語らず農業教える牧師 模索する予備校生を支援

2007年11月03日11時59分

 人生につまずき、心の奥から救いを求める人たちがいる。しかし、宗教は「小さくされた者」(聖書のことば)の受け皿になれずにいるのが実情だ。そこで一人の牧師の姿を通して、宗教の枠組みを超えた実践について考えてみたい。

 大手予備校の河合塾には高校卒業程度認定試験(旧・大検)に備えるコース「コスモ」がある。学科の勉強よりもまず、人と交わることや視野を広げることが重視される。引きこもり状態だった生徒が少なくないためで、学ぶ動機づけとなるようなユニークな講座が用意されている。

 その一つ、東京校の「コスモ農園」ゼミを担当しているのは新宿区・百人町教会の牧師、阿蘇敏文さん(67)。発足した88年から2年間は座学で世界の食糧問題を教えていたが、自身が土に触れることに目覚め、校舎から田畑に出た。16〜22歳のゼミ生が十数人、参加している。

 茨城県龍ケ崎市の田で9月、稲刈りが行われた。ほとんどが鎌を持つのは初めて。干すために稲穂をわらで束ねても、すぐゆるむ。「なんだ、そのユルフンは」と阿蘇さん。「今はパンツだけど、昔はふんどしといって……」。脱線気味の話に笑いが絶えない。ただ、一本の茎に何粒の米が実っているかを数えさせたときは真剣だった。

 「一つの生命から、たくさんのいのちが生まれます。みんなも同じように、たくさんの実を結ぶのです。何に人生を賭けるか、ゆっくり考えてください」

 ある男子(19)は悩んでいる。「高校は3日でやめた。バイトもこわい。将来を考える時間がほしい」。阿蘇さんはそんな若者たちに心を痛める。「いい学校や出世……。いろんな枠にとらわれてしまっているが、深いところでは自己解放を求めているはずです。人間を解放していくのが宗教の役割。教義を吹き込むのでなく、よけいなものをひっぺがしてあげたい」

 開かれた農園はそのためにある。仲間と雑談するのも自由だ。「土や風はみんなを受け入れ、互いを結びつけてくれます。そこには人間の力を超えたものがある。ぼくはそれをキリストと思うけど、宗教用語を使う必要はありません。ただ『自然』と呼んでもいい」

 連帯感をもたらす農作業と同じくらい大事にするのが食事を囲むこと。信仰の共同体に対して、阿蘇さんは「食卓共同体」と呼ぶ。結婚式や葬式が象徴するように、食事は人のつながりを確かめる場となる。家族が崩れつつある今、その意味を回復させたいという。

 稲刈りの3週間後、新米を炊き、肉じゃがなどをつくった。「みんなでつくった食事です。感謝していただきましょう」と阿蘇さん。ひとときの静けさのあと、一人が茶わんを手に「うまい」とつぶやいた。

 「先生」ではなく、だれもが「阿蘇さん」と呼ぶ。卒業生もやってくる。今春、東京農業大学に入学した阿部花映さん(18)は言う。「ここで出会ったのはかけがえのない人たち。心の底の底のほうでつながっている感じがします」

 ことばを超えたメッセージを受け止め、新しい自分を見つけようとする生徒たち。一人の男子は「弁護士になる」と宣言した。「教えているつもりはありません。反対に、えらそうなことを言うお前は何者だ、と常に問われているようです。子どもたちは私を導く天使だなと思っています」と阿蘇さんは語る。

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