現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 マンガの力(2) スラムダンク奨学金(下)2007年11月09日12時33分 スラムダンク作者の井上雄彦が発案した奨学金制度。その第1号になった並里成(なみざと・なりと)がいる福岡第一高バスケット部は、スラムダンクがなければ、おそらく存在しなかった。
現監督の井手口孝が女子の強豪・中村学園女高のコーチを辞め、同校に赴任したのは94年。バスケット部はなかった。だが、毎週土曜日にある自主講座でバスケット講座を開いたら、100人以上が殺到した。どうにもさばけず、部をつくることになった。「スラムダンクの絶頂期だった。みんなその影響なんですよ」と井手口はいう。 05年に全国高校選抜で優勝するほどの強豪に成長した。その優勝メンバーに1年生で加わっていたのが並里だ。 身長172センチのポイントガード。沖縄・嘉手納基地の近くで育ち、米兵相手にストリートバスケットを楽しんだ。小柄でも当たり負けしない。井手口は、そのけた違いの才能に「日本の大学では育たない。米国に行かせてみたい」と感じた。 井手口は、並里の米国留学を現実にした奨学金に「井上さんがこういうことをしてくれるのは助かる」と感謝しつつも疑問がぬぐえない。「本来は協会が選手を派遣して強化することを考えるべきではないか」 日本バスケットボール協会理事で高体連を担当する品田奥義は「世界で通用する可能性を持った選手がいるが、高校から先の道が成熟していないのは事実」と認める。02年には、全国から有望選手を定期的に集めて指導する制度をつくるなど新しい試みも始まったが、外に開いた道はない。 10月、テストを受ける並里と一緒に米国に行った井上は、並里が米国選手に交じってプレーするのを見て「身長の高い米国選手に対しても、日本のバスケットが通用する部分がある」と感じた。 日本人初のNBA選手になった田臥勇太は、ハワイの大学を選んで、語学習得に苦労しながら独力で道を切り開いた。井上は「田臥くんが開いた道を参考にさらにいい道をつくる。敬意をもって後に続く」と話す。 日本のバスケット界はいま、目指すゴールが描けない状態だと井上の目には映る。「10年後、20年後のゴールを描くために、やれることをやらないと。奨学金はずっとやっていきたい。そして、米国で積んだ経験を日本に還元してほしい」〈敬称略〉 PR情報この記事の関連情報文化・芸能
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