現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 歌人の岡野弘彦さん 天皇家の和歌指導役退く2007年11月21日11時40分 歌人岡野弘彦さん(83)が先ごろ宮内庁御用掛の職を退いた。四半世紀にわたり、天皇家の和歌指導・相談役という側近の重責を果たした岡野さんに心境を聞いた。
■「師・折口信夫」の学問まとめたい 79年に歌会始選者となったのち、83年に御用掛に。実は以前にも辞意を伝えたことがある。「7年お仕えした昭和天皇が亡くなられた時に。でも侍従長の徳川義寛さんに慰留され、24年になっちゃった」 今回の辞任に特別の事情はないという。「心の中でまとまってきた、師の折口信夫の学問と文学をまとめる時間がほしい。ただそれだけなんです。20代に起居を共にして教えられた『折口学』を、僕はひたすら継承に集中した。でも次第に、体系だてて書かれてはいない『もののふの歌の系譜』といったことをめぐる先生の考えが見えてきた」 靖国問題がまた火を噴いた今夏、岡野さんの編著『昭和天皇御製 四季の歌』がマスコミをにぎわした。文中の、昭和天皇はA級戦犯の合祀(ごうし)に反対だったとの記述が報じられて間もなくの辞任発表だった。注目されたのは、〈この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし〉という昭和61年8月15日の詠に寄り添う、歌にまつわる記憶を記した文章だ。 「このお歌について、徳川さんから意見を求められたのです。僕は、靖国のどの点が、どう憂わしいかが出ていないとお答えした。すると徳川さんは陛下の本心は明確です、と」 「刑死した人々を深く悼みながらも、合祀は戦死者をまつる社である靖国の性格を変えてしまうこと、アジア諸国の国民感情を思う上でも適切でないとお考えなのだと聞いて、歌に託された篤(あつ)いお気持ちを感じた体験を書きました。合祀の正当性を主張する側から抗議はなかった。辞任とのつながりはありません」 夏の終わりに、石川県羽咋市にある折口家の墓近くに〈荒御魂の 二つあひ寄るみ墓山。わがかなしみも ここにうづめむ〉と岡野さんの歌を刻んだ碑が建った。「僕にとって歌碑とは墓。(建てるのは)死ぬ前にと考えていたけれど、戦死した先生の養子の春洋さんの生誕100年だからぜひ今年、という地元の声に押され決心した。いろいろ区切りの年でした。でもなにやらほっとした」 年内に「住み慣れた伊豆に戻る」という。12年にわたった国学院大栃木短大学長職を今春、後任に引き継いでいる。通学の便のために借りた都内の家も役目を終えたようだ。 PR情報この記事の関連情報 |